観て聴いて読んで書く

マンガ、アニメ、ゲームなど好きだと思ったものについて無節操に書き綴ります

BL『狐のよすが』について語りたい

皆さんはミナヅキアキラ先生の商業BL『狐のよすが』という作品をご存知ですか? この作品で描かれるのは、哺乳類との狐と鳥類の鷹という種を超えた愛の物語。キャラクターたちが着物を着ている和の世界であることから昔話のような味わいの、とっても深い物語です。今回はこの作品について語っていきたいと思います。

性描写がある作品なので、未成年の方はごめんなさい。大人の方だけこの先をお読みくださいね。

ネタバレが含まれるので、ネタバレダメという方は注意してお読みください。

 

拾ったヒナ

「人外」という言葉、一度は聞いたことがあるかなと思います。この言葉の本来の意味は、「人間の世界の外、人の道を外れること」というものなのですが、創作物の中では獣人や機械、魔物といった人間ではないキャラクターについて指していうことが多いですよね。

人間と人外の恋愛を描く作品はわりと多いかなと思いますが、この作品はなんと人外と人外の恋。『狐のよすが』というタイトルからも分かるように、この作品に出てくるのはキツネ、リス、タヌキ、そしてタカなどを擬人化したキャラクターたち。擬人化された動物界でのBLなんです。

太った兎を食べて上機嫌で寝ぐらに戻る途中、木の上の巣から落ちてしまった鳥のヒナを見つけたキツネの九重(ここのえ)。小さなヒナとはいえども、肉は肉。肉食のキツネにとっては食糧です。獲物が捕まらない時のための非常食にと、九重はヒナを自分の寝ぐらに連れ帰ることにします。お腹を空かせてピーピーと泣くヒナに昼寝を邪魔されてイラつくものの、自分と同じように肉と食べると知った九重は、どうせ食べるのなら食いごたえのあるところまでヒナを大きくしてからにしようと気まぐれを起こし、食事を与えて連れ歩くように。九重を「とうさん」と呼び、すっかり懐いてしまうヒナ。

古くからの知り合いのリスにヒナを食べずに育てていることを驚かれ、友人のタヌキからは「今さら食べられるかね?」と問われ、食べるために育てていると言い張り、ヒナに情が湧いたわけではないと言いながらも動揺する九重。自分が出かけている間に、ヘビがヒナを食べようと家に侵入したことをきっかけに、彼は非常食だなどという口実を取り払って親として育てる覚悟を決め、ヒナに名前をつけてやります。

 

おまえの名前は よすが だ
おまえはこれから 俺を縁(よすが)に生きるんだ

 

よすが」とは頼りとなる人や場所、心のよりどころといった意味の言葉です。美しくて素敵な名前ですよね〜。思いつきで簡単につけるような名前では決してありません。九重がヒナの名前を決めるこのセリフだけで、今までどれだけヒナが大切にされてきたのかが感じられますよね。1人で気ままに生きてきた九重。そんな彼が、自分と同じようにひとりぼっちのヒナを拾い、家族になろうと自ら決意したというのが、本当に感動的です。

九重という名前には、長く健やかに生きられるようにという親の願いが込められていました。九重も親としてヒナに願いを込めて「よすが」という名を与えました。九重の家は何もなく、1人で寝るためだけの空間としてはあまりに広く感じられます。そのポッカリと空いた空間を埋めてくれる存在を、九重は無意識に求めていたのかもしれませんね。

 

お前を食べたい

親としてよすがを育てようと決意をした九重。鳥の成長のスピードは速く、よすがは見る間にすっかり大きくなりタカらしくなっていきます。

九重の中にはよすがを食べたいという気持ちはとっくに無くなったというのに、よすがは自分を食べろと何度も九重に迫ります。でもそれは、食べられるはずだった自分を助け育ててくれた恩を命で返そう、というような悲壮な覚悟というものではありません。九重にじゃれつきながら自分を食べてほしいと屈託なくねだるんです。九重は、そんなよすがの存在によって自分の中の食欲ではない別の「何か」がざわつかされているのを感じます。

自分の親がやってくれたのと同じように愛情を込めて優しくよすがを舐めてやる九重。しかしそれはいつしかくちづけに変わっていきます。舌を絡ませ合い、よすがの着物を剥いで胸をあらわにさせ、その脚を掴んで……。そこで九重は我に返ります。

夜、すっかり寝入っているよすが。共に夜を過ごす気になれなかったのでしょう、九重はひとり頭を冷やすために外に出ます。

 

あれで
はっきりしちまった
ざわつく腹の底で
『俺はあいつを孕ませたい』んだとーー

 

自分の中の食欲と同じくらいに切実な欲求に気づき、戸惑う九重。

一方よすがは、森で初めて同じタカの雄鳥と出会います。まだ飛ぶこともできず、つがう相手も見つけられないと雄鳥にバカにされたよすが。つがうという言葉の意味さえ分からないよすがはその場に居合わせたリスに頼み、その意味を教えてもらいます。森に棲む者は一人前になったら親から離れて雌雄で一対のつがいとなり、子を成して命を繋いでいくもの。雄同士で種も違う九重と自分との間には森の繋がりが無くつがいにはなれません。そのことを知らされたよすが。

実はこの山にいるキツネは九重のみ。まだ幼かった九重を残し、他の者は皆死んでしまったのです。幼くして生き残った九重は、縄張りを守るキツネの習性のために山を離れることもできず、つがいとなる相手も得られないまま、親が名前に込めてくれた願いを叶えるようにたった1人で生きてきたのです。

どうせまた1人になるくらいなら、誰とも繋がりを持たないままでいいと思っていたと言う九重。しかし巣から落ちたよすがを拾って育ててきた、それは九重が胸の内で他のキツネとの繋がりを欲しているからなのではないのか。九重に大切に育ててもらったというのに、肉として九重の腹を満たすことも、つがいとなって森に命を繋いでいくこともよすがにはできないのです。

 

俺が九重の子を成せたらいいのに

 

ポロポロと大粒の涙を流し泣きじゃくるよすがの口からこぼれた言葉。九重もよすがも願うことは同じ。他の者たちと同じように繋がりを持ちたいということだけ。教えられずとも勝手によすがを孕ませるように動く九重の体。

この作品では、キツネである九重もタカのよすがも、よく特徴を捉えた擬人化をされて描かれています。顔も体も人間に近づけて描かれていますが、鳥であるよすがに腕はありません。彼の持つ美しく大きな翼が、種の違いを否応なく突きつけてきます。

九重はキツネであり、よすがはタカ。互いを求めても実るものなど何も無いのだと、まるで確かめるように身体を重ねる2人。動物にとって命を繋ぐことは使命です。九重だけでなく、よすがも子を成さなければなりません。このまま一緒にいれば、よすがはつがう相手を見つけることができないでしょう。九重はよすがを大切に想うが故に、黙って森を出るという切ない決断をします。

九重は1人で生きてきました。しかしそれは彼が望んでのものではありません。他の動物たちがつがう相手を見つけて子を成し家族となっていくというのに、1人で取り残され生きていくしかなかった九重の孤独の深さは推し量ることもできません。無条件で自分を受け入れて繋がりを持ちたいと願ってくれたよすがは、九重にとって唯一の救いでした。

でもそれは、よすがにとっても同じです。巣から落ちたよすがは、九重が拾わなければ他に誰かに食べられてしまっていたかもしれません。血の繋がりも無く種も違うよすがを育ててくれたのは、紛れもなく九重でした。よすがにとって九重を失うことは、唯一の縁を失うことなんです。

 

俺の よすが
あの森で俺が生きるには おまえがいる

 

この九重のモノローグが全てを語っていると思うんです。よすががいるから九重は生きていける。そして、九重がいるからよすがも生きていけるのです。互いの存在こそが、彼らの生きる糧であり、生きるすべてなんですよね。

なぜ誰かと結ばれて共に生きていきたいと願うのか。その答えを、九重とよすがが私たちに示してくれているように感じました。

 

狼族の練のもとに嫁ぐことになった兎族の少年を描いた『狼への嫁入り 異種婚姻譚』についても語っています。ご興味を持ってくださった方はこちらからどうぞ。

isanamaru.hatenablog.com