皆さんは平井大橋先生の『ダイヤモンドの功罪』という作品をご存知ですか? 「このマンガがすごい 2024」でオトコ編の1位になったほか、多く紹介されたりしているので、タイトルを知っている方も多いと思います。ヤングジャンプに連載中で、この記事を書いている時点で7巻まで出ています。
野球場の内野を指す「ダイヤモンド」と、光る才能のたとえとしての「ダイヤモンド」の二重の意味が込められているこの作品のタイトルがとても秀逸。まさしく光り輝く才能の持ち主である少年が主人公なんです。
しかし、輝きが強いほどに、影は濃く暗くなるもの。眩いほどの才能を目の当たりにした人たちの思惑の交錯は、読んでいてヒリヒリしてくるほどの密度なんです。とにかくたくさんの方に読んで欲しいと思える作品です。
ということで、今回は『ダイヤモンドの功罪』について語りたいと思います。

野球との出会い
この作品の主人公綾瀬川次郎(あやせがわじろう)は、小学5年生ですでに身長169cmという恵まれた体格と、ずば抜けたスポーツセンスの持ち主。そんな天才少年が、時には仲間たちとぶつかり合ったりしながら大会優勝を目指していく、いわゆる熱い野球マンガの展開になると思いきや、物語は全く違う方向へと進んでいきます。
なぜなら、綾瀬川の才能があまりにも突出していて、レベルが違いすぎるんですよ。「本物の才能」というものを知り、野球をしている綾瀬川と同世代の子どもたちだけでなく、彼に関わる大人たちもがおかしくなってしまうんです。
綾瀬川は今までに体操、テニス、水泳などの競技を始めてはすぐに辞めてしまうということを繰り返してきました。彼にとって簡単すぎたとかピンとこないとか、そういう理由ならいかにも天才っぽくていい感じですよね。でも彼がいろんなスポーツを転々としてきたのは、そんな理由じゃありません。
水泳の体験レッスンを受けていた綾瀬川はそのクラブの最速タイムに迫る泳ぎをし、逸材を見つけたとコーチ陣は色めき立ちます。今まで自分が時間をかけて苦労して練習してきたというのに、「初心者」であるはずの綾瀬川に軽く凌駕されてショックを受けない子はいないですよね。
あんなのいたら…練習するッ意味とかっないじゃん!
ロッカーで大泣きしながら母親に訴えている子のセリフです。「あんなの」というのは、もちろん綾瀬川のこと。この一言だけで、どれだけ彼の泳ぎがすごいか分かりますよね。しかし自分のせいで傷ついてしまう子がいることに耐えられず、綾瀬川はそのスイミングクラブに入るのをやめてしまいます。今まで体操でもテニスでも同様のことが起こり、いたたまれなくなって綾瀬川が去るということを繰り返してきたんです。
綾瀬川が、他の子を蹴落としてレベルの高いところを目指すような子だったら、まったく違っていたでしょう。でも綾瀬川は、純粋にみんなと楽しくスポーツをやりたいだけ。圧倒的に競争や勝ち負けに向かない性格なんですよ。
それなのにスポーツの才能に恵まれすぎてしまった綾瀬川は、その才能の自分の望みを一向に叶えることが出来ません。まるで、怪物が人間と仲良くしようとして、自身の力の強さの加減が分からずに殺してしまう、みたいな感じ。
テニスも体操も水泳もダメ。だけどスポーツはやりたい。綾瀬川は母親がもらってきたチラシの中から少年野球チーム「足立バンビーズ」を見つけます。バンビーズは子ども達に楽しく野球をさせるというレベルのチーム。初心者なのにいきなりすごい球を投げる綾瀬川を、バンビーズの子たちは大喜びで迎え入れてくれます。今までの習い事で歓迎されない経験ばかりしてきた綾瀬川は、衝撃すら受けたんじゃないでしょうか。
テニスとか体操とか水泳とかじゃなくて
オレは野球だったんだ!
バンビーズに入った綾瀬川は、本当に楽しそうなんですよ。ずっとニコニコしているし。公式戦で勝ったことがないというバンビーズののんびりした雰囲気を、綾瀬川は気に入っているんです。たとえチームのキャッチャーが自分の投げる球を捕れなくても、そのせいで自分が試合に出られなくても。
少年の功罪
しかし「綾瀬川次郎」という才能の塊は、バンビーズにとってあまりにも異質。その力を知ったバンビーズの監督は、綾瀬川に黙ってU-12日本代表の選考会に応募してしまいます。騙し討ちのような形で勝手なことをされて綾瀬川は怒りますが、監督は彼がバンビーズの仲間を大切に思っていることを逆手に取って、強引に選考会に参加するよう説得します。
監督は決して悪気がないんですよ。だってガラス玉の中にダイヤが混じっていたら誰でも取り出しますよね。たとえ本人がそれを望んでいないとしても。
不本意ながらもU-12日本代表の選考会に参加し、大阪から来ているピッチャーの巴円(ともえ まどか)や彼と同じチームのキャッチャー雛桃吾(ひな とうご)と仲良くなった綾瀬川。ブルペンに入った綾瀬川は、球を受ける桃吾だけでなくU-12の監督たちをも驚かせる投球をしてみせます。
バンビーズのキャッチャーは綾瀬川の球を捕れませんが、同学年でも全国レベルの桃吾が相手であれば、綾瀬川は実力を抑えて投げなくても平気なんですよね。選考会で初めて本気で投げる楽しさを知った綾瀬川。その結果、綾瀬川は仲良くしてくれた円をも押しのけて、U-12日本代表のエースナンバーを与えられてしまいます。あまりに恵まれすぎる才能を持つがゆえに、綾瀬川は野球を始めてまだ間もないにもかかわらず、世界を相手に戦うチームのエースナンバーを負うことになるんですよ。
ちなみに、ここまででまだ1巻が終わってません。しかもこの間に、綾瀬川はそこに存在しているというだけでひとつの家庭を壊しちゃってます……。綾瀬川は何も悪くありません。ただ、綾瀬川の放つ輝きがあまりにも強すぎるだけなんです。
U-12に選ばれたとはいえ、綾瀬川には日本代表のエースの自負はありませんし、対戦相手が負けることを気に病んでしまう勝負に向かない性格も変わりません。しかしその投手力は、まさしく全日本のエースにふさわしいもの。しかも彼が試合中に小学生とは思えないほどの高いレベルで思考して投げていることが、監督との会話から分かってくるんです。綾瀬川の野球IQの高さは監督も一目置くほど。綾瀬川はフィジカルだけではないんですよ。
試合で誰も嫌な思いをしないようにしたいのに、でも投げれば優れたフィジカルと思考で相手を圧倒しねじ伏せてしまう綾瀬川。この歪んだ感じ、ますます怪物めいてますよね。
日本代表のチームメイトの子たちも綾瀬川の際立った実力を理解し、申し訳なささえ感じてしまうほど。とりわけ円をはじめ同世代のピッチャーたちは、綾瀬川が中学高校とこの先ずっと自分の前に立ち塞がる存在になるという事実に、絶望的な気持ちにすらなっています。
WBC(ワールドベースボールクラシック)で日本代表としてアメリカのメジャーリーグで大活躍している大谷翔平選手とチームメイトとなったプロ野球選手がショックを受けたという話があったかと思います。プロとして活躍している大人ですら、能力の高い人間に会って衝撃を受けるのですから、まだまだこれからという小学生の少年たちが、同じ道を歩む綾瀬川と自分の能力の差を知ってしまうというダメージは相当大きいだろうと思います。
大会が終わるまでの即席チームである上、綾瀬川という異質な存在がいることで、U-12はどこかギクシャクした雰囲気が消えません。普通の野球マンガなら、そんな状況を乗り越えて優勝を目指そうと一致団結して勝ち進んでいく様子を、何巻にもわたって描いていくんじゃないかと思いますが、対戦チームの選手の名前も分からないほどにあっさりとした描写で世界大会は終わり、U-12チームは解散してしまうんです。
それでも野球人生は続く
天才ピッチャーを主人公とした野球マンガだし、綾瀬川の試合での活躍っぷりが描いていかれるのだろうと思いましたが、『ダイヤモンドの功罪』で試合に割かれるページ数はそれほど多くありません。
そもそも綾瀬川はU-12で初めて試合に出るので日本代表チームに辿り着くまで一切試合の場面が無いですし、U-12では宿泊先での選手たちや監督・コーチの会話を丁寧に拾い上げ、いざ大会が始まっても試合の展開より綾瀬川の投球を見たU-12のメンバーが何を思うのかの方に描写の重点が置かれ描かれていきます。綾瀬川の試合中の描写は少ないですが、U-12をはじめとする周囲の反応によって、彼の異質さがむしろ際立っていくんです。
スポーツを題材にした物語は、主人公がさらに高いレベルのもっと強い相手と戦いながら成長していくものが多いと思います。しかし綾瀬川は、まったくと言っていいほど自分の能力に執着がありませんし、むしろ自分で力を持て余してしまっています。そんなところも異質ですよね。
しかも綾瀬川は、U-12とはいえ日本代表チームのエースに選ばれるほどのピッチャーにもかかわらず、リトルリーグを引退したら草野球チームで野球を続けていこうと考えるんですよ。世界相手に戦える将来有望なピッチャーがそんなこと言い出すなんて、と誰もが思いますよね。でもそれが紛れもなく綾瀬川本人の希望なんです。
負けた人のことを気にかけずにはいられないという優しい性格の綾瀬川にとって、ただ楽しく野球ができる穏やかな環境こそが理想なのでしょう。しかし、あれだけ鮮烈に才能を見せつけ、U-12のチームメイトに絶望すら与えておきながら、自分だけ勝負とは無縁であろうというのは無理な話ですよ。
綾瀬川はバンビーズの子供たちとはレベルが違いすぎるため、強豪の足立フェニックスに在籍することになります。成長痛と偽り、一年間試合に出ずにやり過ごそうとする綾瀬川。しかし状況は想定から外れていき、綾瀬川は重大な決意と共に、自分自身に重たすぎる枷を課すことになるんです。
この『ダイヤモンドの功罪』は野球が題材です。しかし作者の平井大橋先生は、綾瀬川がピッチャーとしてどう成長し活躍していくかより、天才として生きることになる綾瀬川の孤独と葛藤や、彼に関わる周囲の人々の気持ちの揺れといった人間ドラマに焦点を当てて描きたいのだろうなと感じます。
『ダイヤモンドの功罪』1巻の冒頭、物語はマウンドに立つ高校生の綾瀬川のモノローグで始まります。
野球 選んでよかったなんて思うことは一回もねぇよ
素直で優しく繊細な小学生の時とは違い、少しスレた印象の高校生となっている綾瀬川。彼がそれまでにどんなことを経験してきたのか、そしてこの先どうなっていくのか。これから描かれていく物語をしっかりと最後まで見届けたいと思っています。
提示された未来
平井大橋先生は、『ダイヤモンドの功罪』連載前に『ゴーストライト』『ゴーストバッター』『可視光線』『サインミス』の4本の読切作品を描かれています。その4本ともが『ダイヤモンドの功罪』のパラレルな少し未来の世界。『ダイヤモンドの功罪』のプロトタイプのような作品群で、平井大橋先生の頭の中には既に綾瀬川サーガともいえる壮大な物語が存在しているのだということを感じさせます。
『ゴーストライト』は綾瀬川の高校生からプロ選手として活躍している時期の、『ゴーストバッター』その20年後のそれぞれライバル園大和との物語。また、『可視光線』と『サインミス』は綾瀬川の中学から高校にかけてを描いており、こちらは巴円と雛桃吾との物語です。これらの読切に登場する3人とも『ダイヤモンドの功罪』本編に既に出てきています。
[野球漫画賞 佳作]「ゴーストライト」 平井大橋 - 週刊ヤングジャンプ編集部 | となりのヤングジャンプ
[野球漫画賞 佳作]「ゴーストバッター」 平井大橋 - 週刊ヤングジャンプ編集部 | となりのヤングジャンプ
[10Pショート読切] サインミス - 平井大橋 | となりのヤングジャンプ
『ゴーストライト』『ゴーストバッター』『可視光線』の3編は、綾瀬川たち4人の野球への囚われ方の違いが出ているのが面白いんですよね。天才投手として生きることを決める綾瀬川、野球に情熱を超えた執念を見せる大和、綾瀬川に焦がれながらも超えたいと願う円、円のためにあえて綾瀬川と共にいることを選ぶ桃吾。どの作品も密度が濃くて、漫画賞への投稿作と思えないほどグイグイ引き込まれます。
『ゴーストライト』と『可視光線』は本編と読み味が似ていますが、亡霊が出てくる『ゴーストバッター』とマネージャーと恋バナをする『サインミス』はテイストがかなり違っています。特に『サインミス』は単行本に収められているおまけ漫画のような感じの軽いお話で、本編では何かと追い詰められている表情をしている綾瀬川のダラけた姿が見れます。
いずれも綾瀬川を中心とした物語ではありますが、読切では東京の高校に行った綾瀬川が本編で群馬の高校に進学するようだったり、読切でサードで4番だった桃吾が本編でキャッチャーとして円とバッテリーを組んでいるなど『ダイヤモンドの功罪』本編では設定が変更されています。
読切作品を読んでから『ダイヤモンドの功罪』本編を読んでいくと、本編の方が幼い時点から物語が始まっているため、綾瀬川も含めた彼ら4人の「あるかもしれない未来」を私たちが予め知っているような状況になります。前もって作者から提示されている「あるかもしれない未来」があって、そこに向かっていくのかそれとも違うのかとザワザワしながら読み進めていくという感覚、非常に面白いんですよね。
もちろん本編が読切の内容をそのままなぞっていくとは思いませんが、長編となった『ダイヤモンドの功罪』本編に読切にあった要素が上手く落とし込まれていますし、平井大橋先生の中で綾瀬川、大和、円、桃吾の人物像が読切からブレていないなと感じます。
この先『ダイヤモンドの功罪』本編で、読切の世界が再構築されていくのか、それとも別の世界線が見えてくるのか、とても楽しみです。
