皆さんは白野ほなみ先生の『もう少しだけ、そばにいて』という作品をご存知ですか? この作品は、事故で車椅子となってしまった晴人とその恋人の晃の日々の物語です。車椅子で過ごす方の生活も詳細に描かれており、きれいごとだけではない日々を生きる2人がとても印象的に描かれていきます。
時々これはいわゆるBLの枠を超えているなと思わせられる作品に出逢いますが、まさにこの作品も、男性カップルを描いたBLとしてというよりも、もっと深くて普遍的な愛の形がそこにあると感じられる作品です。できればたくさんの人にこの作品を読んで欲しいなという思いから、記事タイトルではあえてBLとは付けませんでした。
今回はこの『もう少しだけ、そばにいて』について語っていきたいと思います。
ネタバレを含みますのでネタバレ苦手な方は注意してお読みください。
車椅子の恋人
女性の同僚からの誘いを笑顔で断り、上機嫌で家路に急ぐ晃。家で自分の帰りを恋人の晴人が待っているんです。大切な恋人の顔を一刻も早く見たい。LINEの既読が付いたか気にしながら、帰る途中で晴人が気に入っているお惣菜を買って帰るなど、2人の生活が順調なことが感じられます。ニコニコしながら帰宅した晃を車椅子に乗った晴人が迎えます。
俺たちは ちょっと 少数派なだけの
どこにでもいる 恋人同士
少し感情を表に出すのが苦手な晴人。愛情を素直に伝えてくる晃。男性同士の恋人だということも、晴人が車椅子だというハンディキャップがあることも、ふたりの愛の前では些細なことさって感じの明るい話なんだろうなと、最初は能天気に思って読み進めていました。
でも、すぐに厳しい現実が突きつけられるんですよ。健常者にとってなんでもない動作でも、晴人には大きな労力と時間が必要です。おへそから下の感覚を失った晴人にとっては、排泄だって大変なこと。排尿は自分で尿道に器具を挿入して行い、感覚が無いため排便も下剤を使用することになります。
また、車椅子で外出はできますが、いく先々で車椅子対応可能かの確認や事前の予約が必要となります。特にハッとさせられたのは、晃と晴人が映画館へ行く場面。健常者の足には心地よい映画館のフカフカのカーペットの長い毛足にタイヤが沈んでしまい、車椅子では進みにくいと苦労している晴人の描写があります。たしかに考えてみれば、長い毛足に車椅子のタイヤが沈んでしまうと分かります。ですが、この作品で読むまでこんな小さなことでも障害を持つ方にはハードルとなってしまうのだということに全然思い至ってなかったと気付かされます。障害を持つ方の日常は、健常者には必要のない作業が多く発生し、労力をかけなければならないのだと改めて思い知らされるわけです。
大学生の時の事故によって車椅子が必要となった晴人。彼の中にある健常者だった時の記憶も感覚も、消すことはできません。事故前の自由に動き回れた時と比べることができてしまうために、今の自分の体のままならなさに心削られ苦しむ晴人。
そんな晴人を温かく包んでくれているのが、恋人である晃です。内向的な晴人とは対照的に朗らかな性格の晃は、楽しそうに外出の計画を立てて晴人を外に連れ出してくれるんですよ。そんな晃は、沈み込んでしまいそうになる晴人の気持ちを明るくしてくれる存在なんです。
でも人間はとても多面的。晴人も晃も、それぞれ相手には言えない思いを心の中に抱えて日々を過ごしているのだと、少しずつ明らかになっていきます。
人生は旅のように
大学生の時に、晃と晴人は出会いました。バイトでお金を貯めては思いつくまま旅に出ている晃と、休日もバイト以外は部屋にこもって小説を執筆している晴人。まったく正反対の2人。晃は飽きっぽい自分とは違い、晴人が小説という一途に打ち込めるものを持っていることに、晴人は外に出ることを億劫がる自分とは逆に、晃の見知らぬ土地へと旅に出る気ままさや思い切りの良さに惹かれていきます。
小説家としての一歩を踏み出しはじめた晴人。また新たな旅に出ることにした晃。2人の前には、これまでの日々と地続きの明るい未来があったはずだったんです。
あの夜、事故が起きるまでは。
事故によって下半身付随となった晴人。晃は長く伸ばしていた髪も切って就職し、あれだけ好きだった旅をすることを辞めてまで不自由な身体となった晴人のそばにいようとしてくれます。きれいなだけのお話であれば、晴人はそこまで晃に愛されて幸せに生きていくことになるのでしょう。しかし晴人は、いくらリハビリをしても事故前の体には決して戻ることは無いという絶望に打ちひしがれ、自分のせいで晃から自由を奪って縛りつけてしまったと思い悩みます。あの事故でいっそ死んでいたら晃は今の自由でいられたと、そう思い至るほどの晴人の苦悩の深さに胸が詰まります。晃の世界一周という夢は自分といる限り叶えられないのに、自分の小説家になる夢は叶えられていることで、余計に自責の念は深まっているのではないでしょうか。
そんな晴人の最後の砦となっていたのは「安楽死」でした。生かせられた自分の命を自分の意思で終わらせる「自由」があることで、晴人は「〜をしたら(もう死んでもいいんだ)」と、自分に対して生きる言い訳をすることができるようになったんだろうと思います。それほどまでに、生き続けることは晴人にとって苦しいものとなってしまったんですよね。
でも、苦悩を抱えているのは晃も同じ。大切な恋人の晴人が事故に遭ったというのに、晃は顔を見ることもできず、容体も人づてに知るしか手立てがありませんでした。同性同士の結婚がまだ認められておらず「家族」になれない以上、この先晴人に何かあっても、晃は外野に追いやられたまま、そばにいることさえ許されません。
心の底から、晃は悔しかったんだろうと思うんですよ。その苦い思いは、大切な晴人を1人置いてふらりと旅に出ようとしていた自分自身に対しても向けられたのではないでしょうか。その後の晃は、晴人と一緒にいられるように手を尽くします。スーツケースをクローゼットにしまい込み、就職して晴人と暮らせる家を探し、同僚と飲みにも行かずに定時で退社する日々。それだけでも十分に晃は献身的に晴人を支えていますよ。しかし晴人が安楽死を考えていることを知ってしまい、まだ足りないのだと、さらに晴人に尽くそうと思い詰めていく晃。
パートナーシップ制度のある所に家を買って引っ越そう。晃は晴人に精一杯の愛情を見せますが、晴人は自由を愛していたはずの晃が自分のためにどんどん縛りつけられていくことに耐えきれなくまってしまいます。晃も晴人も、お互いを大切に思っているからこその「悪循環」。
そんな波乱を迎えて、晃は後悔の念や罪の意識ではなく、ただ大切な人だから晴人と一緒にいたいのだということを、そして晴人は自分がまだ「安楽死」を選ばずにいるのは、晃との日々が生きたいと思わせてくれているからだということを、それぞれが気づき、2人は改めて共に生きることを選び取ります。
日々の生活は面倒ばかりでままならないことだらけ、夢や希望だって叶うものは決して多くありません。そんな人生において、共に生きたいと思える人の存在にどれだけ救われ生かされているか、『もう少しだけ、そばにいて』を通してそのことを深く感じさせられました。
エピローグをどう考えるか
『もう少しだけ、そばにいて』本編は、晃と晴人が小旅行に出かける場面で終わりますが、単行本では書き下ろしのエピローグが追加されています。年老いた晃と晴人がスイスを訪れているこのエピローグをどう考えるかによって、読後感も違ってくるかなと思います。なぜなら、晴人が安楽死を申し込んだ団体がスイスにあるからなんです。
年老いた晴人が安楽死を決意して、晃と共にスイスに来たということかもしれません。悲しいですが、晴人の最後の願いを晃が叶えてあげるのだと考えると、それは美しいラストだなと思います。
ですが、それでも私は晴人は安楽死を選ぶことをせずに、晃と共に最後まで生き抜いたと思うんですよ。
エピローグで晃と晴人が訪れているのは現実世界でのスイスではなく、人生を全うした2人の魂が「新しい世界=天国」への旅に出る出発の地だったのではないでしょうか。
それに、2人で少しずつ世界の国へと旅をしてきた晃と晴人が、ただ純粋に旅先の一つとして最後に訪れたのが、スイスだったという可能性だってあります。ずっと長く生きてきて、結局「安楽死」なんて選ばずに済んだ。今まで行くのを避けてきたけど、キレイな景色は見ておきたいよね、みたいな感じで。
エピローグを読んで感じた印象は人それぞれ。でも、晃と晴人の物語のラストは悲しいものでは決してない。私は、彼らが共に生きたいと抱きしめ合った、あの瞬間を強く信じようと思うんです。
それでもやっぱり読み終えてしんみりしてしまう方には、ピクシブコミックに掲載されている特別掲載の読み切り「スーパーパワー」(単行本には掲載されていないエピソードです)を読んでほしいなと思います。晃の明るさが良いんですよね。晴人のそばに晃がいてくれると思うだけで、本当に救われます。きっと2人は幸せに生きたはず、そう思えるようになるのではないかなと思います。
読み切りへのリンクはこちら↓
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/182253
【2025/06/22追記】
pixivコミックスにて『もう少しだけ、そばにいて』の日常編の連載が開始されました。第1話は旅に出ている晃と晴人の様子が描かれていました。日常編でも晃のスパダリぶりが発揮されています。晃と一緒に、「晴人がんばれ!」と思いながら読んでいきたいと思います。
