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『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』を最後まで見届けたので語りたい④マチュ

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(以下『ジークアクス』)は、5年前に行方不明となった「赤い彗星」シャア・アズナブルを捜索するシャリア・ブルをはじめとするジオン軍の人々の物語と並行して、元気で可愛い女子高生マチュ(=アマテ・ユズリハ)を主人公にした物語が展開されていきます。

5年前の戦争を引きずらざるを得ない立場にいるシャリア・ブルとは対照的に、戦争を知らない高校生のマチュの「未来しか見ていない」感じが眩しくてとても魅力的です。

『ジークアクス』は『機動戦士ガンダム』(以下、『ファースト』)のパラレルとして始まりますが、ガンダムを知らない方が見ていても、主人公であるマチュの存在によって敷居がグッと下がったと思いますし、少年少女が友情を得て恋を知り成長していく一編の青春物語として純粋に楽しめたのではないかと思います。

ということで、今回はマチュを中心に、『ジークアクス』に感じたことを吐き出していきたいと思います。

 

 

アマテからマチュへ

とても呼びやすいマチュという名前。しかしこれは彼女の小さい頃の愛称です。アマテ・ユズリハという本名は、彼女の母親と彼女の通っている学校、そして彼女が指名手配された時に呼ばれるだけ。シュウジに思わずマチュと名乗って焦っていましたが、それ以降の彼女は本名ではなくマチュと呼ばれて過ごしていくことになります。

なぜキャラウターの名前をマチュとはせずに、存在を忘れてしまいそうなほど使われることがない「アマテ」という本名を設定したのか。ガンダムの作り込まれた物語の中で、意味のないことは起こりません。このマチュと彼女が名乗るようになる理由も、もちろんちゃんとあるんです。

マチュは生まれてからずっと、スペースコロニーで過ごしてきました。普通の感覚の人間であれば、比較ができる他の世界を知らないわけですから、自分が今いる環境が自然であり当然の状態だと思い疑問を持ちませんよね。しかしマチュは違っていました。

 

コロニー生まれの私達は、
本物の重力も本物の空も知らない。
もちろん、本物の海も……

 

マチュはとても優秀なニュータイプの資質を持っている少女。それゆえに彼女は、自分たちがいるこの世界が作られた偽物であると感じ、「本当の世界」への渇望を抱いています。

お嬢様学校の生徒で塾にも通わせてもらっているという経済的に不自由のない環境にいるものの、「ごく普通」の感覚を持つ母親やクラスメイトたちとはどこか噛み合わず満たされない感覚の中にいたマチュ。そんな時に、出会ったのがニャアンとシュウジです。

戦争難民としてたった1人で辿り着いたというのに、このコロニーの住人として受け入れられずにいるニャアンと、マチュたちが生きる世界とは別の「向こう側の世界」の住人であるシュウジ。2人とも「よそ者」です。

この世界を本物と思えないマチュは、この世界のよそ者であるニャアンとシュウジに出会い、マチュと名乗ります。そして彼らと本物の世界である地球に行くために、モビルスーツでバトルをして賞金を稼ぐという、親や学校という枠からはみ出した世界に自ら飛び込んでいきます。

母親やクラスメイトはアマテと呼びますが、ニャアンとシュウジに出会って以降に知り合う人々は、彼女をマチュと呼んでいます。シャリア・ブルですらマチュくんと呼んでいることから、彼女自身がそう呼ぶのを望んだのでしょう。マチュという名は、偽物の世界から飛び出して本当の自分を得た彼女の名前なんです。

 

エネルギーの塊

マチュはとにかく大胆な子。良く言えば思い切りが良く積極的、悪く言えば向こう見ず。

  • テロリストかも? と思いながらも、割られたスマートフォンの弁償をしてもらおうと罠を仕掛けて運び屋(=ニャアン)を捕まえる
  • スラムを荒らす軍警相手にモビルスーツに乗り込んで喧嘩を売り、たまたま見つけたさらに強そうな機体(=ジークアクス)に乗り換えそのまま強奪
  • シュウジと共に非合法のクランバトルに強奪したジークアクスで参加してしっかり勝ち抜く
  • 指名手配の身となりシャリアによって一般人ながらソドンの営倉に収容されるも、そこから逃げ出してジークアクスで大気圏に突入

冗談でしょって思うほど後先考えないマチュの行動に、このくらい大胆に動き回ってくれないと12話では物語が小さくまとまってしまうのかなと思いながらも、見ていて「いのちだいじに!」とハラハラしていました。まさに火の玉ガール! こんな規格外の少女が、よく今まで大人しく母親の言うことを聞いてお嬢様学校に通っていたなと、むしろ不思議に思うくらいです。

マチュは判断が非常に早く、割り切りもできる子。そして迷いはするけど決めたらブレないし、反省はするけど後悔はしていません。軍人ではないので、マチュの行動はすべて上から命じられたものではなく、彼女自身の意志によって決めたもの。だからマチュには「戦いたくないのに戦わなきゃならない」とか、「殺したくないのに討たなきゃならない」とか、そういう葛藤が無いんですよね。

そのため、彼女の無鉄砲さはとても爽快。だから私たちはマチュの生命力の輝きから目が離せなくなってしまうんです。

 

マチュの強さ

『ジークアクス』の中で、マチュはシャリア・ブルと対照的な存在になるよう意図的に描かれています。

シャリア・ブルは、木星での過酷な経験から「空っぽ」になりながらも軍に留まります。そしてかつてマヴとして友人として心通わせたシャアを、必要であれば殺すつもりで探し続け、再会を果たすも互いに戦闘不能状態になるまで戦い、袂を分かつことを選びます。

マチュは指名手配をされて学校・家庭そして生まれ育ったコロニーからさえも居場所を失うことになりますが、軍に属してシャリアの部下になったりもせず一個人のまま。気まずい状態で分かれていたニャアンに再会してすぐに「マヴになって」と関係を修復し、シュウジを言葉の力で説得をします。向こうの世界の住人であるシュウジと離れることにはなりますが、マチュとシュウジが想い合う繋がりはあり続け、いずれ再会を果たすのではないかと希望を持たせます。

シャリア・ブルにとって全てを失い「空っぽ」になった=死に限りなく近い状態であり、彼は過去を精算し全てを手放して死に場所を得るために行動しています。

しかしマチュは、居場所を剥奪される状況になって、むしろ縛り付けるものが無くなって解放された感じ。嘆き悲しんだり絶望する様子は描かれませんし、「空っぽ」になった状況からたくさんの人との繋がりを得ていきます。

自分を犠牲にして物事を収めようとする旧世代のシャリアに比べて、自分も他人も生かして乗り越えていくマチュには、新しい世代という希望を感じます。

マチュの強さを一番に感じられるのは、やっぱりこのセリフだと思います。

 

私たちは毎日進化するんだ。
明日の私はもっと強くなってやる!
誰かに守ってもらう必要なんてない、
強いニュータイプに!

 

このマチュのセリフで、シュウジは目を覚まさせられます。マチュのこの言葉はとても力強く説得力がありますよね。でも、高校生だった時のマチュだったら、シュウジにこの言葉を投げかけられなかっただろうと思うんです。

マチュは自分で殻をぶち破って外に飛び出し、たくさんの大人の女性たちと出会います。現実的なアンキー、破滅的なシイコ、軍人として働くコモリなど。特にマチュに大きな影響を与えたのは、ララァでしょう。

ジークアクスで無謀にも大気圏に突入して負傷したマチュを助けたララァ。彼女は「赤い士官服」の彼、つまりシャアが迎えにきてくれるのを娼館でずっと待っています。火事のどさくさに紛れて逃げられる状況となっても、マチュを逃して自分は娼館に残ることを選ぶララァ。

ララァは並行世界の自分の人生を、夢として垣間見て知っています。どの世界でも、シャアは悲劇的な最期を迎えてしまう、だからこの世界のララァはとにかくシャアを信じて待ち続けるという選択をしたんですよね。それは王子様が現れるのを夢見て待っているなどという生ぬるい気持ちではなく、命を賭けてシャアを待ち続けるという凄まじいほどの決意なんです。

今までだってマチュは自分の意志で進んできています。しかしマチュはララァの姿を見て、自分の想いを貫く覚悟を決めた人の強さを知ったはず。だからこそ、マチュは「もっと強くなってやる!」とシュウジに宣言したんです。それは、マチュのシュウジへの想いが、恋から愛に変わった瞬間だったのだと思っています。

 

『ジークアクス』におけるニュータイプとは

『ジークアクス』を見ていて特徴的だなと思ったのが、ニュータイプの描き方。ニュータイプの人たちって情緒不安定というか自己破壊的というか、なんだかとっても危なげな人たちのイメージがありました。『ジークアクス』には主人公のマチュをはじめ、何人もニュータイプたちが登場します。でも、みなさん揃って精神的に安定していますよね。エグザベなんて、戦闘に出てもひたすら清廉な青年でしたし。ちょっと危ういかもと思ったのはシュウジくらい。この『ジークアクス』の世界でのニュータイプの人たちの扱いは非常にカラッとしているので、安心して見ていられます。

シャアはニュータイプの定義を「洞察に満ちた優しさを持つ者」としていますよね。これは、シャアがシャリア・ブルをその定義の前提としているからだと思われます。そんなシャアから一目置かれるシャリア・ブルが目を見張るほどのニュータイプの資質を持っているのがマチュです。

マチュはシュウジと、シャリアはシャアと、それぞれ自分の大切な人が成そうとしていることを阻むために、立ちはだかり対峙します。命のやり取りしか解決方法が思いつかなかったシャリアとは違い、マチュは最後まで誰も傷つけることなく解決を果たします。

シャリア・ブルはそんなマチュを「新世代のニュータイプ」だと言っていますよね。シャリア・ブルがマチュを見る視線は、まるで親のようでもあります。そして同時にそれは『ジークアクス』の制作者の視線でもあります。

この『ジークアクス』でのニュータイプとは、不可能だと思うようなことも、自分の意志で大人からは思いもよらない方法で乗り越えていく若い人たち全員なのではないかと思うんです。

君たちはなんだってできる。新しい世界へだって飛び出していける。君たちは毎日進化しているのだから。

マチュは、制作者(大人)から若い人たちへ向けての力強く温かなエールを具現化した存在なのだと感じました。