皆さんは映画『ホウセンカ』という作品をご存知ですか? この作品はオリジナルアニメ『オッドタクシー』の木下麦監督・此元和津也脚本のタッグによる劇場用アニメ映画です。
独房で死を迎えようとしている無期懲役囚の老人が、ホウセンカの花に自分の人生を語って聞かせるという物語。人と会話ができるホウセンカの花というファンタジー要素もありながらも、すごくすごく地味! ですが、今は刑務所にいるこの老人の人生が明らかになるにつれ、不器用で一途な愛を貫く優しい物語に変容していきます。観終わって、じんわりと胸の奥が温かくなっているのを感じる、かなりの名作です。
この素敵な作品について、語らずにいられるわけがない! ということで今回は映画『ホウセンカ』について語っていきたいと思います。
アニメだけど邦画の手触り
この『ホウセンカ』の主人公は阿久津実(あくつ みのる)というヤクザの男。彼が独房でホウセンカの花に、刑務所に入る前の若い頃のことを語って聞かせる形で物語は進みます。
独房にいる現在の阿久津の声を小林薫さんが、そして若い頃の阿久津を戸塚純喜さんが演じられています。苦しそうな阿久津の息づかいで物語が始まるんですが、その声を聞いた瞬間、すごいものが始まったなという予感がしたんですよね。小林薫さんの演技の素晴らしさで、本当に一気に作品の世界に引き込まれました。また戸塚純喜さんの声によって、あまり表情豊かではない阿久津の温かさや優しさが感じられました。
阿久津と共に暮らす永田那奈(ながた なな)の若い頃を満島ひかりさん、現在を宮崎美子さんが、そして人の言葉を喋るホウセンカの花をピエール瀧さんが演じているんです。おおらかで芯の強い那奈を演じた満島ひかりさんも素敵なのですが、ホウセンカの役のピエール瀧さんがすごく良いんですよ。字面だけ見ると「ホウセンカの花役って何?」って感じですが、ピエール瀧さんのちょっとからかうようなとぼけた愛嬌のあるお声としゃべり方が、この作品の世界をファンタジーと現実の中間に置く役割を果たしているんですよね。花なのにおじさんの声だというのがポイントなんです。もしホウセンカの声が可愛らしい声だったら、ファンタジー色が濃くなりすぎて、1人の男の人生を描くという物語の中で馴染まなかっただろうと思います。
この作品では安元洋貴さんなど声優の方たちが脇を固め、本業ではない俳優の方たちが主要人物を演じています。ですが先に演技を録るプレスコという手法で制作しているため、演技の不自然さはありません。荒唐無稽さとは真逆の、人生の何気ないシーンを積み重ねて見せていく物語なので、現実とは別の世界に連れていってくれるような声優の方の演技よりも、ドラマのように地続きの生々しい現実感を感じさせる俳優の方の演技の方が、この作品には合っているんですよね。この世界に阿久津という男がいたんだなと、そんな気持ちになってくるんです。
映画館で作品を観終わって、アニメ映画を見たというのに、実写映画を観ていたような不思議な余韻に包まれました。俳優の方の演技で観ていたからかもしれません。
花に語り聞かせる人生
独房の中で苦しげに息をしている阿久津に、「ろくでもない人生だったな」とちょっと意地悪に語りかけるホウセンカ。生まれてすぐと死ぬ間際にはホウセンカ言葉が聞こえるようになると聞いて自分の死期を悟った阿久津は、静かに刑務所に入るまでの若かった日々を語って聞かせます。
庭にホウセンカの花の咲くこぢんまりとしたアパート。ここを住まいに、阿久津は那奈と彼女の息子の健介との3人で新たな生活を始めました。
阿久津はあまり感情を表には出さない穏やかな男で、言葉数も多くはありません。引っ越してきた町を散歩して手作りの地図を作っていたり、写実的な絵を描くのが得意だったり。阿久津は強面ではありますが、ちゃんとヤクザが務まってるのか? と不思議になるくらい。不器用さゆえに、うまく立ち回れずヤクザに落ち着いてしまったのかなという感じがします。
そんな阿久津と暮らす那奈。阿久津は那奈と結婚しておらず、彼女の息子の健介との血の繋がりはありません。ヤクザの男とシングルマザー。ちょっと訳ありっぽい感じ。妊娠し捨てられてしまった那奈に阿久津が同情したのかとか、赤ちゃんを抱えて1人では生きていけないと那奈が阿久津にすり寄ったのかとか、頭をよぎるそんな邪推も、すぐに消え去ります。なぜなら2人の空気感がとても穏やかで自然なんです。
劇中で阿久津と那奈がガムテープを剥がす「シュッ」という音と電子レンジの「チン」という音を楽器に見立てて「スタンドバイミー」のメロディーを口ずさむ場面が良いんですよ。生活の中にある小さなことに楽しみを見いだすことができるって素敵ですよね。そんな女性だから、阿久津は那奈に惹かれたのだなと感じましたし、那奈にとって阿久津との生活が幸せなものなのだと分かります。この「スタンドバイミー」は、阿久津と那奈の幸せな時間のテーマソングなんです。
阿久津が那奈と健介と3人で暮らし始めたのが1987年。ちょうど日本全体がバブル経済に浮かれている時期です。この時期のヤクザは地上げなどでお金儲けをしていたようで、阿久津も類に漏れず羽振りが良くなっていきます。派手なネクタイのスーツ姿で兄貴分の堤と夜遊びをしたり、舎弟たちにご飯代として一万円札を何枚も握らせたり。正直、全然似合ってません…。
しかしそんな浮かれた状況も、次第に影を帯び始めます。健介が心臓の病気であることが分かったのです。大人になれるか分からないという診断。助かるためには心臓移植しかありません。それには億単位のお金が必要になります。それだけのお金をすぐに用意することはできません。しかし健介の命のリミットは迫っています。阿久津は手術費用を得るために、ある手段に突き進んでいくんです。
花火とホウセンカ
一つ曲の中でフレーズが形を変えて繰り返され展開していくように、『ホウセンカ』でもあるモチーフが形を変えて繰り返し現れてはその意味を深めていきます。そのモチーフは「時が満ちて弾ける」というもの。
まず、阿久津がホウセンカに語る那奈と健介との日々の回想として真っ先に出てくる花火。彼らの住むアパートの庭から見るだけでなく、まるで自分がドローンを操って撮影しているかのように、視点を変えながらの花火の描写が続きます。上空高く打ち上げられ美しい光の花を開かせる花火は、人々を魅了するその瞬間が来るのを待っているものと言えます。
阿久津たちのアパートの庭のホウセンカもそう。ホウセンカの実は熟すと自然と弾けて種子が飛び散るんです。これも弾けるその時が満ちるのを待っていると言えます。
また、二束三文のガラクタすら高額で取引されるような中身のない好景気が限界の時を迎え、文字通り泡のように弾けて消えたバブル経済もそうです。
そして健介の心臓。実際には破裂するわけではありませんが、花火やホウセンカの実といった「時が満ちる=タイムリミットが来て弾ける」モチーフが重ねて提示されているため、心臓病と健介の寿命への恐怖のイメージと否が応でも重ね合わせずにはいられません。
劇中、庭に植えてあるホウセンカの実に触れようとした阿久津を、那奈が神の領域だと少し大げさな表現で止めるシーンがあります。神様が決めた自然の摂理に人が介入してはダメだということですね。ホウセンカが実を弾かせ種子を飛ばして命を繋ぐのも、病に勝てない弱い者が命を失っていくのも、等しく自然の摂理、つまり神様が決めたことだと言えます。でも、たとえそうだとしても、その小さな心臓が壊れてしまうその時を絶対に迎えさせまいと、阿久津は行動に出ます。それは神様が決めた運命を覆そうとすることでもあるんです。
那奈は共に生きていく覚悟を決めているというのに、ヤクザの妻になったら大変だと言って阿久津はずっと那奈と籍を入れようとしませんでした。那奈と健介のためにヤクザを辞めてしまう選択肢もあったと思いますが、それもしないまま。大切だから一緒にいたい。けれど、大切だから本当の家族にはなれない。阿久津は、那奈と健介をずっとそんな宙ぶらりんの状態に置き続けてきたような臆病な男です。そんな阿久津が、那奈と健介の幸せを守るためだけに、たとえそれが神の領域だとしても、自らの人生を捧げて抗う覚悟を決めたんです。
感動的な決意ですが、その結果、阿久津は刑務所に収監されることになってしまいます。籍を入れていないことで那奈は夫婦とはみなされないため面会もできず、健介が今どんな状況にあるのか確かめることができないまま、彼は守ろうとした家族と離ればなれでひとりで刑務所で過ごすこととなったのです。
そんな阿久津を馬鹿にするホウセンカ。ホウセンカと阿久津の対話は、神様の決めた自然の摂理に従って生きるものと、それに抗おうとするものとの対話であると言えます。大切な人を守りたい一心で神様の定めた運命に抵抗して不幸に転げ落ちていき、受刑者として孤独に死ぬ。ホウセンカはそんな阿久津の人生を「ろくでもない」と評しています。
確かに傍から見れば、阿久津の人生はホウセンカの言うような「ろくでもない」ものかもしれません。でも自分の人生が本当にどんなものであったのかは、自分自身にしか判断できませんよね。それに、阿久津のささやかな抵抗は、刑務所に入ることで終わってしまったわけではありません。彼は刑務官の中で、自分の人生を賭けた「大逆転」が起こるまで、時が満ちるのをずっと待ち続けていたんです。
阿久津が刑務所に入る前の場面での登場人物たちの言動の中に、しっかりと散りばめられていた「大逆転」への布石。そのことに気づいた瞬間、伏線が回収されていきオセロのように一手で形勢逆転する気持ち良さと、「大逆転」が起きることの納得感が味わえます。
阿久津の口にしていたその「大逆転」は、刑務所から出て自由の身になるというような自分の願いを叶えるものではなく、ひたすらに大切な家族である那奈と健介のためのものなんですよ。無私の愛情を貫く阿久津の強さと優しさ。その「大逆転」によって、阿久津は独房の中から愛情を伝えることに成功します。逆に言えば、それは阿久津のその愛情を受け取ってくれる人がいるということでもあります。だからこそ阿久津が那奈、健介と一緒にいられない切なさに、胸がキュッと痛みます。しかし、それでも阿久津はきっと、心を喜びと安堵で満たして人生を終えることができたはず。物語を締めくくるその確信が、阿久津の人生を見守っていた私たちの胸をじんわりと温めてくれるのです。
ちなみにホウセンカの花言葉はいくつかあります。「私に触れないで」「短気」そして「心を開く」。そして英語での花言葉には「ardent love(燃えるような愛)」とういうものもあるそうです。ホウセンカの花っててっぺんに咲かないんですね。葉の下で咲いている鮮やかな赤やピンクの花。阿久津の胸に秘めた愛情のようにも思えます。