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マンガ、アニメ、ゲームなど好きだと思ったものについて無節操に書き綴ります

『蝉法師』について語りたい

6月からもはや真夏かというくらいに暑いですね。夏といえば昆虫のセミですよ!

皆さんはセミはお好きですか? 毎年夏になるとずーっとずーっと鳴いていて余計に暑く感じてうっとおしいなと思ったり、地面に転がっているセミがまだ完全にお亡くなりになっていなくて突然鳴きだしバタバタ動いて腹立つとか、あまり好きではない方も多いかもしれません。私自身もセミなんて「うるさく鳴いてるなー」くらいの感じでした。

そんな私がセミの声に抱いていた感情を一変させられた作品が墨佳遼先生『蝉法師 訳アリ坊主三人衆、嫁探しの珍道中』タイトル通り、ちょっと訳アリな3匹のセミたちが嫁探しの旅をする物語です。ですが、このちょっとおどけたタイトルに騙されてはいけません! 相手を探して全身全霊で鳴くセミたちの姿に、尊敬の念すら抱かされるようになるくらいの物語がここにあるんです!

ということで、今回はこの『蝉法師 訳アリ坊主三人衆、嫁探しの珍道中』(以下『蝉法師』)について語っていきたいと思います!

ネタバレを含みますのでネタバレ苦手な方は注意してお読みください。

 

『蝉法師』との出会い

墨佳遼先生は、元々ゲーム会社でモンスターデザインなどをされていた方。とにかく本当に素敵な人外を描かれるんですよ。マンガ作品も人外をメインに扱ったものが多く、ケンタウロスのような半人半馬の種族を描いた『人馬』、悪魔と少年のカニバリズムから始まるBL『MADK』(硯遼名義)など出されています。

墨佳遼先生のサイトはこちらになります。

kaikigadou.kilo.jp

 

墨佳遼先生の作品との出会いはTwitterから始まりました。先生の描かれる絵のあまりの美しさに衝撃を受けてすぐにフォローさせていただき、投稿される作品を拝見してはホクホクしていました。『蝉法師』も先生がTwitterに投稿されたものが初見。昆虫の擬人化なんて、ちょっとコミカルで可愛いイメージかと思いきや、命をテーマにした物語を読んだ時の衝撃は大きく、これこそまさに心を奪われたということなのだろうと思いました。

その後、墨佳先生が『蝉法師』を同人誌として出されるということで、これは絶対に買わねば! と入手。同人誌という、作者にとても近い生々しい媒体で手に入れることができ、感激しながら手を震わせて読みました。だって心奪われた物語が、同人誌という実体を持って自分のところに来てくれたのですから。

しかしそれだけでは終わりません。なんと『蝉法師』が商業の単行本になったんです! 考えてみれば、こんな素敵な物語が放っておかれるわけがありませんよ。しかも同人誌では描かれなかった尼僧(メスのセミ)目線の物語が追加されているとは! こんなご褒美がもらえるなんて! すぐに入手せねばと書店に駆け込み、売り場で平積みされていた御本と対面しました。帯に声優の三木眞一郎さんがコメントを寄せられているなんて知らなかったので、二重に驚き感激しました。その時の私は興奮のあまり、鼻息が荒かったと思います。

単行本のカバー絵は、光り煌めく夏の日の下で明るく笑う蝉法師たちの姿が描かれています。そしてその下には、同人誌の表紙だったシリアスな蝉法師たちの絵が隠れています。

 

「嫁探し」の旅

『蝉法師』の物語では、セミは念仏を唱える僧に見立てられて描かれています(この作品ではオスが僧なので、メスは尼僧となっています)。中心となるのは熊蝉法師の熊油蝉法師の油明々法師の明々という3人の蝉法師たち。クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミですね。うまく羽化が進まず苦しんでいる明々を助けた熊と油。そのことをきっかけに、同じ種類のセミではないなら嫁の取り合いも発生しないということで、3人は共に嫁探しの旅に出ることになります。あくまでも番となる相手を探すための旅であるのに、海を目指そうと言うなど、どこか気ままでのんびりとした感じ。豪放磊落な熊、優しい油、内気な明々は、性格もセミの種類(作品中では宗派)も違いますが、一緒にいてすごく明るくて楽しそうにしているんですよ。

皆さんご存知のように、セミは何年もの間、幼虫として地中で過ごしていますよね。この作品ではセミを僧になぞらえて描いているので、幼虫期のことを地中堂で修行していたと表現しています。つまり熊たちのように外で鳴いているセミたちは、外に出て過ごす10日ほどの期間に備えて何年も経を唱え続け、修行を耐え抜き空に飛び立つ体を得て、番う伴侶を求めことを許された者たちということになります。

熊は、地中堂での修行中にカビで眼をやられて視力を失ってしまっていますが、その念仏は力強く、他の宗派の僧(=他の種類の蝉)すらも聞き入ってしまうほどに見事なもの。また油は羽化不全で腹に不具合が残って長くは鳴けませんが、澄んだ声で素晴らしい読経を行います。明々は彼らの読経に感嘆の声を上げますが、そんな彼らでも背負うハンデがあるためなのか、嫁を得ることが叶わずにいるのです。

尼僧と出会えさえすれば番うことができると思っていた明々は、その厳しい現実を目の当たりにし、ショックを受けてしまいます。しかし熊も油も、尼僧も命懸けなのだからと全く恨み言など言わずに潔く切り替えて前を向くだけでなく、自信を喪失している明々を励ましさえします。

命のリミットが迫っているのに嫁探しの旅を終えられないという状況、普通なら苛立ったりヤケクソになったりしてしまってもおかしくないと思うんですよ。それでもハンデに負けずに懸命に鳴いていれば、それを「強さ」だと認めてくれる尼僧が現れるかもしれないと笑顔で言う熊。とにかくカッコいいんですよ。

すっかり熊にときめいてしまい、きっと熊には相応しい相手が見つかるに違いない、どうか素敵な尼僧と巡り合ってほしい、でもこのまま3人の旅を見続けてもいたい。そう思いながら読み進めていきました。しかし、そんな気持ちを裏切る展開が、この先待ち受けているんです。

3人の中で一番先に羽化した熊。当然、一番先に寿命の終わりが迫ることになります。相手を得られないまま、弱っていく体。熊は最期に太陽のてっぺんで鳴きたいと願いますが、その願いは叶えられるはずもありません。せめてもと、油と明々は煌々と眩しく太陽の光が射す場所に熊を連れていきます。そこで最期の読経を行う熊。

自分の唱える念仏を受け止めてくれる尼僧はついに現れてはくれなかった。命を削って鳴いても、誰にも届かなかった。熊はいつでも明るく笑顔で油と明々を励ます立場でいましたが、彼の胸の内に秘めていた絶望はどれほど深かったことでしょう。何のために羽化したのかと、何もなさぬままに終わることとなる自分の命の意味をも疑ってしまったこともあったのではないかと思います。

しかし、熊は思い出すんですよ。地中堂で修行していた時、先に地上に出ていった先輩僧たちの読経の声が聞こえていたことを。

自分も彼らと同じように地上に出て素晴らしい読経を行い、番う相手を見つけて立派に命を次代に繋げよう。地中に響いた先輩僧の読経は熊にとって、励ましにも憧れにも支えにもなっていたのではないでしょうか。

熊の読経は番となってくれる尼僧には届きませんでした。けれど今、地上で鳴く自分の読経は地中堂に響き渡り、修行僧たちを励ましているのです。望んだ者には届かなかったかもしれない。けれどしっかりと自分の声を受けとめてくれる者はいる。そのことに気づいた熊の言葉が良いんですよ。

 

俺らの念仏は必ず届く
未来が聞いている

 

あまりにもカッコよくて、あまりにも切なくて。きっと熊は、精一杯生きたのだと自分の人生を肯定し納得することができたのでしょう。この場面、何度も何度も読み返しました。熊の燃え尽きるような生き様。熊は番を得られませんでしたが、別の形で命のバトンを次代に繋げたんですよね。

油と明々は2人で旅を続けることに。しかしあまりにも唐突に無情に、別れは訪れてしまいます。残された明々は1人で旅を続け、熊が行きたいと願っていた海にたどり着きます。私たち人間でさえ圧倒されるほどの海の大きさを、明々はどう受けとめたのでしょう。あまりに大きな自然の中で、自分の存在へ弱く小さいと思い知ったかもしれません。

海に向かって、読経を始める明々。熊と油を弔い、彼らとの出会いに感謝し、願い叶わぬまま命を落とした者たちを慰め、連綿と続いてきた命の繋がりの環を担うことになる者たちの未来を願う。内気で尼僧と満足に会話もできず励まされてばかりだった明々が辿り着いた境地。まさしくすべての生きとし生けるものを労い慈しむ命の読経です。

この『蝉法師』という物語を読んでからというもの、蝉時雨を聞くと、本当に読経のように聞こえるようになったんですよね。そうなると、聞いていると余計暑く感じて不快だなと思っていたはずのセミの声が尊く感じられ、静かに聞き入ってしまうんです。たとえ何かを成せなくても、見返りがなくても、命の限り鳴くことはセミたちにとって生きることそのものなんですよね。そうやって絶えることなく命を毎年次代へと繋ぎ続けてきたんです。それはセミだけに限らず、人間を含めた全ての命も同じ。そのことに想いを馳せると、胸がキュッと締め付けられます。

 

尼僧の物語

『蝉法師』の単行本では、蝉法師(オスのセミ)の物語に加え、尼僧(メスのセミ)の物語が収められています。尼僧法師編では、地上に出て、見知らぬ男と番い、子供を成して死ぬという自分の宿命に不安を抱いたまま羽化した明々宗尼僧の明星が主人公となります。

地上に出たのですから、明星も番う相手を見つけて命を繋ぐ使命を負っています。しかし相手をどう決めるべきなのか、わからずに悩み迷う明星。そんな道中で、明星は熊蝉宗尼僧の暁と出会います。

自分が番う相手をどう決めて良いのかわからないでいる明星。地中堂にいるときに見染めた僧を一途に探す暁。共に旅をすることにした二人は、対照的な結末を迎えることになります。

長い幼虫の期間を経て、外に出ようとしても上手く羽化ができずに死んでしまう者もいます。外敵に襲われて食われてしまう者もいます。生き延びたとしても、セミはオスもメスも番うことができるのは一度きり。だからこそオスは命をかけて鳴き続け、メスは真摯にオスを見定めるんです。

熊たちオス側の物語だけでも胸が震えましたが、単行本になって明星と暁のメス側の目線での物語が加わったことで、より一層この命の物語に深みが出たなと感じます。私にとって『蝉法師』は、出会えたことを感謝したい、かけがえのない一冊です。