幾原邦彦監督のオリジナルアニメ『さらざんまい』について語ってきましたが、残るは最終話となりました。
今回は、11話について語りたいと思います。
悠の絶望
目の前でレオに燕太を銃で撃たれ、希望の皿を奪われてしまった一稀。今度は自分が助ける番だと、彼の命を救うために、一稀はレオに奪われた希望の皿を取り戻すことを決意します。
マブを失い、我を失ったように銃を撃ちまくり、最後の一枚の希望の皿を奪い取ろうと一稀に襲いかかるレオ。間一髪でレオは悠に撃たれ、一稀の元に希望の皿が5枚揃います。
これでようやく燕太の命を救えると安堵したのも束の間、ピンチを救いに来てくれたように見えた悠は一稀に銃を向けます。悠は亡くなった兄の誓を希望の皿で生き返らせるために、戻ってきていたのです。希望の皿を巡り、燕太の命のタイムリミットが迫る中、対峙し合う一稀と悠。しかし悠の向けた銃から弾を放たれることはなく、希望の皿により燕太は命を取り留めます。
警察に追われて逃亡中のヤクザの兄の誓と、巻き添えで撃たれた友達の燕太。救うべきはどちらなのか、悠自身にもそのことは理解できていました。燕太を救うために希望の皿を一稀に使われたことに対して、悠は怒ることも責めることも悔しがることすらもせず、ただ力なく呟くのです。
もう疲れた
自分たちを置いて両親は亡くなりました。人を撃ってしまった自分を唯一抱きしめ守ってくれた兄のためにと、悠はいくつもの犯罪まで犯して誓を助けようとしましたが、金が手に入っただけで、結局彼を救うことは出来ずに死なせてしまいました。さらには、今までないほどに打ち解けて心を許せる友達となれたのに、希望の皿を奪おうと一稀に銃を向けてしまったのです。
何一つ得られずただ失っていくばかりで、もう自分には何も残っていない。家族も友達も。
悠の口にした「疲れた」という言葉。彼は「生きること」そのものに疲れ果ててしまったのです。深い孤独と絶望から、悠は黒ケッピの触手に絡めとられてしまいます。行かせまいと悠の手を掴む一稀。しかし、悠は自ら一稀の手を振り払い、誓の幻影と共に黒ケッピの闇に飲まれていってしまいます。
過去の自分自身の存在を、手にした銃で躊躇なく次々と消していく悠。周りとの繋がりを自ら完全に切り、自分自身を初めから無かった存在にしようと、誓の幻影さえも悠は淡々と撃ってしまうのです。
6話では、一稀が春河を救うためにケッピに尻子玉を抜いてもらい、自分の存在を無くそうとしました。そんな一稀を殴りつけ、自分の存在を簡単に手放そうとする考え方を「胸糞悪い」と怒鳴りつけた悠。
あの時には一稀を助けた悠が、11話では自分の存在を消していくことになってしまったのです。
「自分なんていない方がいい」
一見同じように見える2人の感情ですが、大きな違いがそこにはあります。
一稀のその思いは自己犠牲です。自分なんていなくてもと言いながらも、心のどこかで誰かが手を伸ばして自分を助けてくれるのを待っている、そんな甘えがあります。自分が傷付けばそれで済む。けれど傷つくのは怖くて救いを求めたい気持ちはあるのに、勇気が出せず自分の手を伸ばさずにいただけでした。
一方、悠のその思いは自己破壊に他なりません。より暴力的で冷たく、自ら手にした銃で過去の自分自身を何度も撃ち殺していきます。何度も繰り返される小さな自殺。自分自身に銃を向けるたびに、悠の心も小さな死を繰り返していきます。もう彼の中には絶望しか残ってはいません。
春河救出の際に、悠は「お前は諦めるな」という言葉を一稀に投げていました。春河を助け出し腕に抱きとめたことで、大切なものを諦めない強さを得ることができた一稀。彼は燕太と共に悠の存在を守るために黒ケッピの闇に飛び込み、過去へと遡っていく悠を追っていくのです。
つながりはループする
悠は4年前に、男を撃ち殺してしまいました。その罪を全て被ってヤクザとして生きるしかなくなった誓を思い、悠は一番大事なものを捨てます。幼い彼は、サッカー選手になることを夢見ていました。まだたった10歳の少年の悠は、その夢を捨てることを決めたのです。
橋の上から河にサッカーボールを投げ捨てる悠。川岸からその様子を見ていたのは一稀でした。悠と一稀は言葉を交わすうちに、互いに自分と相通じるものを感じたのかもしれません。悠はサッカーボールと共に捨てようとしていたミサンガを一稀に渡し、一稀は悠との出会いの記憶が曖昧になりながらも、彼から渡されたミサンガを4年間手放すことはしませんでした。こうして一稀と悠のつながりは4年前から続いていたのです。
「ミサンガが消えないうちはまだ間に合う」というケッピの言葉に背中を押され、自分を殺し続ける悠を止めるために一稀と燕太はさらに過去へと遡っていきます。そして4年前のその日、サッカーボールを川に捨て悠がミサンガを一稀に渡そうとしている瞬間に辿り着いた彼らは、身を挺して悠がその瞬間の自分を撃つのを阻止しました。
お前らには飽き飽きなんだよ
悠を取り戻しにきたと言う2人を拒絶する悠。黒ケッピにより過去の悠は撃たれて消滅してしまいます。
「つながり」というものは互いに糸を伸ばして掴み合っている、そんな状態に似ています。伸ばした糸を誰かが掴んでくれなければ繋がることはできません。その逆に、たとえ片側の人間が「つながり」の糸を断ち切ろうとしても、もう一方の人間がその糸の端を掴んで離さないでいてくれたなら「つながり」は消えることなく存在し続けることができるのです。
僕はつながりをあきらめない。
切り離されたって何度だってつないでやる
一稀は自分の手にまだ残っているミサンガを握りしめて、きっぱりと言い放ちます。一稀はもう、自分から手を伸ばし続けることを恐れることはありません。
黒ケッピにより、一稀、悠、燕太の3人は、それぞれ共に過ごしていた時の記憶を忘れさせられていきます。つながりを失いたくないと願う一稀と燕太。そして悠は、居場所も捨てられないものもなかったはずだったと、消えていく記憶に涙を流すのです。
悠が唯一信じられるのは、銃で人を撃ったあの時に自分を抱きしめてくれた誓だけでした。彼はずっと誓と共にいることを願い、一緒に暮らしている親戚をはじめとする周りの人々と、心を通わせることを避けてきたのでしょう。そんな彼は、警察に追われる誓と浅草を離れると決めながら、一稀と燕太のことを思い出して躊躇していました。
悠は「放っておけない奴ら」と一稀と燕太を表現しました。人との深い交流を避けてきた悠が、自分から2人を気にかけていたことが分かります。そしてそれが初めてだったろうということは、悠を「変わっちまった」と誓が言っていることからも分かります。それだけ悠にとって、一稀と燕太とのつながりは特別なものとなっていたということでしょう。
つながりを捨てて、自分を最初から無かったことにしようとしていた悠から始まる「さらざんまい」。今まで一歩引いていた悠が、初めて自分の欲望を前面に出しつながりを求めた瞬間に、胸を突かれた思いがしました。
3人のつながりを守るためには、なんとしてもミサンガを過去の一稀に渡してつながりの円を保たなければなりません。カワウソが攻撃を仕掛け、何も見えない暗闇で世界を覆います。しかし、そこに現れたレオとマブ。彼らは自分たちの過ちを3人に繰り返させまいとするように、進むべき道を照らし出します。
つながった‼︎
過去の一稀にミサンガが無事に手渡されたことで、3人のつながりは守られました。再現される1話冒頭での大きな「ア」のマークが一稀を通り抜けたシーン。
そこで未来の漏洩が始まります。
大きなスタジアムで大歓声の中、ゴールに向かいパスをつないでいく3人。
つながりたいけど「奪いたい」
つながりたいけど「報われない」
つながりたいけど「許されない」
つながりたいけど「もう会えない」
つながりたいけど「偽りたい」
つながりたいけど「裏切りたい」
つながりたいけど「つながれない」
つながりたいけど「伝わらない」
つながりたいけど「そばにいない」
つながりたいから「あきらめない」
今までの10話のタイトルを絡めながら、映し出される彼らの未来。諍いを起こしたり、絶望したり、その未来は明るいだけのものではないことがわかります。それでも彼らはゴールに向かい迷うことなく走り続け、シュートを放つのです。
漏洩した未来は、可能性の一つ。彼らの前にはいくつもの違う未来への道も存在しています。そしてその未来のどれを選んでも、苦しくつらい出来事からは逃れることはできないでしょう。それでもなお、諦めず信じて進めばいいのです。必ずゴールが待っているのですから。
自分の選んだものを信じていいのだということ、悲しみも嬉しさもつながりがあるからこそ感じられること。そんなメッセージを春河の優しい声が語り、夜空には「ア」の星座が輝きます。まさに大団円でした。
エンディングのさらにその後で
3人の「つながり」が守られたことに幸せな気持ちになり、木漏れ日の爽やかな映像と共にED曲が流れ始めて物語が終わったとホッとしたのですが、『さらざんまい』はそれで終わりません。
いきなりバリカンで丸刈りにされていく悠。「森中少年刑務所」に収監された悠の描写が、ED曲の「スタンドバイミー」が流れる間中ずっと映し出されます。高い塀に囲まれたグラウンドで体操をし、サシェ作りの作業をし、黙々と食事をとり、鉄格子のはめられた窓から外を眺める悠。どの場面も悠の表情が寂しげで、先ほどまで感じた安堵は吹き飛ばされてしまいました。
確かに悠は罪を償わなければならないけれど、こんな形で終わってしまうのか…。
いきなり悲しい気持ちにさせられ、呆然としてエンディングを眺めていましたが、さらに物語は続きます。そうです。『さらざんまい』には、エンディング後のCパートでいつもあっと言わされてきたのです。
3年後、刑務所を出所して浅草に戻ってきた悠。1話でのアバンの一稀のモノローグと呼応する悠の物憂げなモノローグ。街の大型ディスプレイに映し出されるのは、吾妻サラではなくカエルのモチーフのアイドルの女の子。同じように見える街も、3年の間に変わってしまっています。
俺の人生は全部終わっている。失ったものはもう戻らない。それがどうした‼︎
橋の欄干に足をかけ、悠は叫びながら河へ飛び込みます。落ちてくる巨大な「ア」のマーク。一稀と燕太も河に飛び込み、「おかえり」と3年前と変わらない表情で悠を迎えます。カッパの姿でつながりあった彼ららしい再会です。
お前らにはもう飽き飽きなんだよ
3年前にはこの言葉で2人を拒絶した悠は、同じ言葉で再会を照れたような笑顔で素直に喜びます。少年刑務所に入り罪を償ったことで、悠は背負い続けてきた呪縛から解放され、少年らしさを取り戻すことができたのかもしれません。
親戚の蕎麦屋には後ろめたさからか立ち寄れずにいましたが、きっと悠を迎え入れてくれるでしょう。
信じていい。
つながりを求めていい。
安心して前に進んでいけばいい。
3年後の悠の姿を通して、もう一度丁寧に伝えられる前向きなメッセージ。
欲望を手放すな
刺激的にも思えるこの言葉は、幾原邦彦監督から作品を視聴した人たちへ送られた、とても暖かくて優しいエールなのです。
次回は『さらざんまい』の音楽について語りたいと思います。
前回はレオとマブを中心に10話について語っています。興味を持っていただけた方はこちらからどうぞ。