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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』最終話まで観て感じたことを語りたい ②

2023年7月2日に最終回を迎えた『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(以下『水星の魔女』)。24話だからこそ1話の中での情報量がとても多く、必死で見てました。

私のようにガンダムの作品の作品にあまり触れてきたことがない人間にもこの作品に感じることはたくさんあったぞということで、スレッタとミオリネの関係についての公式の見解にちょっとショックを受けたりもしましたが、それはそれで改めて後で吐き出すことにして、前回に引き続き『水星の魔女』について、今回はキャラクターを中心にしれっと語っていきたいと思います。

 

 

ネタバレがありますので、未視聴の方はご注意してお読みください。

 

『水星の魔女』のキャラクター描写の視点から

③キャラクターの魅力

『水星の魔女』に登場するスレッタやミオリネをはじめとするキャラクターたちは非常に魅力的で、もっと話数があったら深掘りして欲しかったなと思うようなキャラクターもたくさんいます。彼らが魅力的に感じられるのは、多面的に描かれているからなんです。

キャラクターの情報量の多さ

主人公のスレッタは、水星から来たということで同世代の子たちと話すことに不慣れ。自分から積極的にいくタイプでもなくオドオドしたりもします。そんなスレッタですが、エアリアルに搭乗すれば一転。エアリアルの高い戦闘力とスレッタの操縦技術は他を圧倒し無双状態。一気に最強のパイロットとしてホルダーの称号とミオリネの花婿という地位を手に入れてしまいます。このギャップ、主人公らしくてすごく良いですよね。

そんな一方で、スレッタは母親のプロスペラにあまりにも従属的。プロスペラの物言いは決して高圧的ではないし、彼女がスレッタに教えた「逃げればひとつ。進めばふたつ」という言葉は、非常に前向きな言葉のように聞こえます。しかしこの言葉により、「あなたはできる子よね」といった感じで洗脳されているかのようにスレッタは考えることを止め、プロスペラに誘導されてしまうんです。危ういです。「お母さんが言うなら人も殺す」と葛藤する様子もなく言い切るスレッタにミオリネは顔面蒼白になっていましたが、見ているこちらまで背筋が寒くなりました。

スレッタは純粋に母であるプロスペラを慕っていますが、プロスペラはスレッタを通して「別の誰か」を見ていますし、胸に抱いている復讐のためにスレッタを利用しています。そんな母親にベッタリで本当にいいのかと、スレッタの腕を掴んで引き寄せたいような気持ちにさえさせられます。

スレッタがGUNDフォーマットのダメージを受けないのは、プロスペラに何かされたからでは? プロスペラの本当の娘じゃないのでは? プロスペラに使い捨てられてしまうのでは? 物語が進むにつれて不穏な憶測が次と湧いてきて、スレッタから目が離せなくなってしまっていました。

制作側の思う壺ですよ。

スレッタがめちゃくちゃ濃いのは主人公だからではありますが、脇役であるシャディクやエランだって情報量では負けてはいません。

シャディクは、実はスペーシアンとアーシアンの両親の間に生まれた戦災孤児。アーシアンの力をスペーシアンと拮抗させ「平和」な状態を作り出すため、グラスレー社CEOのサリウスの養子という立場を利用し、ベネリットグループを解体してその富や力を地球に移すことを画策。宇宙議会連合や地球の反スペーシアンを掲げるゲリラ組織「フォルドの夜明け」とも繋がり、様々な事件の裏で暗躍していました。

それだけだと、カッコいいけどありがちな感じです。しかしそんな大胆な行動をとる一方で、幼なじみのミオリネに思いを寄せているのに直接本人に伝える勇気が持てず、婚約者の地位を得られるホルダー獲得に無関心を装っていながら彼女と婚約したグエルに嫉妬心が出てきてしまうなど、余裕があるように見せておいて実は女々しい部分もあり、人間臭さを漂わせてきます。

また、GUNDフォーマットに耐性を持たされエランと同じ顔に変えられた強化人士たちはエラン本人として学園で過ごしているはずですが、もとが違う人間ということもあって、それぞれ性格がまるで違うんですよ。なんだそのおもしろ設定は⁉︎ ってなりますよね。

スレッタが初めに出会い淡い恋心を抱く強化人士のエラン4号は諦観と本人の性格が相まって「氷の君」と呼ばれるほど無表情で他人にも無関心。彼が「処分」された後に送り込まれたエラン5号はちゃんとエラン本人らしく振る舞いグイグイ行ったせいでスレッタには嫌われてしまいます。しかし混乱の中で、5号は彼本来の性格である芯のブレない図太さや逞しさを見せていましたし、エラン様ご本人は本当に有能かつ性格が悪いんだなというところを見せつけてきました。

シャディクもエランも、それぞれ主人公として1本作品ができるんじゃないかというほどの濃さです。しかし『水星の魔女』は彼らをザックリと切って脇役に徹しさせていました。かなり贅沢ですよね。もっと『水星の魔女』の放映期間が長かったら、彼らの幼少期がそれぞれ1話使って描かれていたかもしれません。しかし今回そのような回想回が無かったことは、彼らに必要以上に感情移入させることがなく、むしろ良い方向に働いたのではないかなと感じています。

キャラクターの成長

少年少女たちをメインに据えている作品の醍醐味は、キャラクターたちの成長していく様子を見守り追体験できること。『水星の魔女』の中で最も成長著しいキャラクターはグエルだと個人的には思っています。

ジェターク社の嫡子であるグエルは、物語序盤では粗暴だし婚約者のミオリネに対して高圧的だし、好感度が極めて低いキャラでした。

が、決闘で自分を負かせたスレッタに思わずプロポーズしてしまったり、ちゃんと負けを認めてしっかり頭を下げて謝ったり、エラン(4号)の言葉でスレッタが傷ついているのを目にしてエランに決闘を申し込んだり、実は不器用ながらなかなか良い子なのでは? と印象が変わっていきます。

MSのパイロットとしての腕は確かだし、ジェターク寮の生徒からの人望もあり、なかなか有能なグエル。しかし父親に認められず手駒のような扱いをされていることに対する鬱屈した思いが、彼に偽悪的な行動を取らせていたのだなと感じさせます。

物語が進むにつれて、グエルは苦しい状況に追い込まれていくことに。ジェターク寮から追い出されて野宿を強いられ、ここぞとばかりにモブ生徒たちに嫌がらせを受けるもじっと耐えるグエル。さらには父親に退学を命じられて失踪し偽名で働いていた彼は、テロの襲撃の混乱の中で父親を自分の手で誤って殺すことに。さらには捕虜として地球に連れて行かれトイレに監禁されるなど、かわいそうで仕方ない感じに。序盤で威勢が良かっただけに落差が大きく、衝撃度が高いんですよね。

好感度が上昇していくのと反比例して、どんどん堕ちていくグエル。捕虜として連れてこられたことで地球の環境を知り、ベネリット部隊の攻撃を受けたアーシアンの少女を助けられず、理不尽に命が失われていく現状を目の当たりにした彼は、成すべきことを考えるようになっていきます。

もはや主人公じゃないのか? と思うようなドラマチックな人生を歩んでいくグエル。彼は数々の事件の首謀者であり父の仇とも言えるシャディクの捨て身の攻撃に応戦するもとどめを刺さず生きて償わせるために拘束、スレッタがクワイエットゼロに乗り込む際にはその護衛役となり、シュバルゼッテに乗り込んだラウダを抱き止め諭すなど、憎しみをぶつけ命を奪う側ではなく、命を守る側に立つようになっていきます。

人として大きく成長したグエルが「ガンダムなんて、もう乗るな」とラウダを諭した言葉は、この作品の象徴的なセリフだと思っています。

キャラクターたちの世代の描かれ方

『水星の魔女』はスレッタが編入するアスティカシア高等専門学園を舞台にして子ども世代がメインとなる「学園青春もの」パートと、ベネリットグループなどを舞台にする親世代の大人たちの腹の探り合いが続く「企業ドラマもの」パートがそれぞれ並行して描かれていきます。

子どもは大人に過剰に依存していたり反発したり、一方で大人は子どもたちをまだ幼いとみくびっているという感じで、子供と大人の世界はうまく噛み合っていない状態。

しかし物語が進んでいき、様々な経験を経た子どもたちと親との関係に変化が出てきます。

スレッタはプロスペラが娘のエリクトへの愛情を糧に前へとひとりで突き進み続けてきたことを認め、過ちを犯そうとも自分の母親だと大きな包容力でプロスペラを包んでいきます。ミオリネやグエルは強権的ではあったけれど父親から愛情を受けていたことを理解しつつ、彼らの過ちを受け止めて経営者として超えていこうとしていきます。

子どもたちが精神的に成長するにつれて彼らの親に対する解像度が上がり、適切な距離を持てるようになっていくんですね。つまり親離れです。この描写は、親の存在が無く(シャディクは養子ですが彼の意識はこれに近いだろうと)一足先に大人にならざるを得なかったシャディクやエランにはありません。

また子ども世代のいる学園内では、スペーシアンからアーシアンへの差別がありました。強力な金銭的後ろ盾の無いアーシアンたちの寮は、ベネリットグループ内の一企業が所持する寮よりもはるかに小さく、みすぼらしくさえあります。ホルダーでありながら水星という田舎の星から来たスレッタを受け入れてくれるのは地球寮というところにも、差別が感じられます。

地球寮の中にも、地球生まれではないスレッタに反発するチュチュのような生徒もいますが、仲間として心を通わせていきますし、ミオリネは株式会社ガンダムを立ち上げて地球寮の生徒たちを社員として一緒に進んでいきます。またフォルドの夜明けによる学園襲撃を機に、生徒たちは自分たちができることをしようと寮を超えて協力し合うようになっていきます。それに引き換え大人たちは最後の最後まで醜い出し抜き合いをし続けており、それを一番近くで見ていたエランは大人たちを見限って去っていきます。

スレッタをはじめとする子ども世代のキャラクターは大人たちとは実に対照的に描かれ、この先は新しい世代がスペーシアンとアーシアンの別なく手を取り合える時代を作っていくのだろうという明るい希望を感じさせてくれます。それはこの作品が若い世代に向けたエールなのだろうと感じました。

 

②生きていく人死んでいく人

ガンダムのシリーズであり、MSという兵器に乗って主人公たちが戦う物語であるからには、『水星の魔女』もキャラクターの死を避けることができません。

プロローグではエルノラと娘のエリクトが所属するヴァナディース機関が強制執行の名のもとに襲撃され、多くの人物が命を落とす様子が描かれていきます。

そのため私は、スレッタが学園で過ごすことになる本編でも、きっとたくさんのキャラクターたちが命を落とす悲しい展開になっていくのだろうと予想していました。エランとして登場しスレッタと交流していた強化人士4号が物語のまだ序盤で早々にペイル社によって「処分」されてしまった時には「とうとう始まったな!」って思ってたんです。

物語を視聴しながら、この後どのキャラクターに死亡フラグが立ってどんな最期を遂げるのだろうかとそればかり予想してたんですが、すごく言い方が悪いんですが、この作品は思いの外キャラクターたちが命を落とさないんですよね。

この『水星の魔女』の本編中で命を落とした名前の分かるキャラクターは、グエルの父親ヴィム、強化人士4号、フォルドの夜明けのメンバーであるソフィ、ノレア、シーシアなど。ヴィムを除いた強化人士4号やフォルドの夜明けのメンバーたちは搾取される側の人たちです。

しかし虐げ奪う側のデリングは暗殺未遂で重傷を負うも容態が回復し、プロスペラもデータストームによるダメージで身体機能の衰えが見られますが命は長らえており、消滅してしまうのではと思われたエリクトも、スレッタたちと共にあり続けています。

命を落としたソフィたちがかわいそうにも感じますが、彼女たちが命を落としたことによって現状の理不尽さが強く伝わってきますし、首謀者がただ命を落としたところで全て無かったことにはならないと訴えたかったのではないかと感じます。ならばこそ、3年後にデリングやサリウスが公聴会で、戦争シェアリングと呼ばれる軍事ビジネスモデルを構築しアーシアンの利益を搾取し続けてきたことに対して責任を追及されることになっていることを、もっとはっきりとわかりやすく描写してほしかったなと思っています。

 

次回も引き続き『水星の魔女』について語っていきたいと思います。