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映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』について語りたい

皆さんは映画『機動戦士ガンダム SEED FREEDOM 』をご覧になりましたか? 本作は、『21世紀のファーストガンダム』をコンセプトに2002〜03年に放映された『機動戦士ガンダム SEED』(以下、『SEED』)とその続編で2004〜05年に放映された「機動戦士ガンダム SEED DESTINY』(以下、『DESTINY』)の完結編となる劇場版です。

2006年に劇場版制作決定というお知らせはあったものの、その後ずっと音沙汰が無く、立ち消えになってしまったんだと思っていたものの、なんと20年の時を経て2024年に公開、2週間で興行収入26.8億円、観客動員163万人を突破し、1982年公開の「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」の23億円を超えて、数あるガンダムシリーズ劇場公開作品の中で歴代1位の興行収入を記録するという大ヒットとなっています。

リアルタイムで視聴していた者として、公開前は観に行くか迷ってしまっていましたが、我慢できずに映画館へ向かい、満足してホクホクしながら帰ってきました。

ということで、今回は映画『機動戦士ガンダム SEED FREEDOM』(以下『SEED』劇場版)について語っていきたいと思います。

 

20年後たどり着いた劇場版なんです

『SEED』は私がファーストガンダム以降初めてちゃんとリアルタイムで視聴していたガンダム作品でした。ファーストガンダムから何作もガンダムは制作されていたことを知ってはいたんですが、特に興味が湧かず。その時にはいろいろ忙しかったり、他のことに関心が向いていたり、単純に作品とのタイミングが合わなかったんだと思います。

が、『SEED』でタイミングが合っちゃったんですよね。

私はガンダムに詳しい人間では全然ないので、ガンダムってすごく大人っぽい絵柄かSDガンダムのようなかなりのデフォルメをしている絵柄というイメージを持っていたんです。しかし『SEED』では、キャラクターたちがとても目が大きくて瞳がキラキラしていて美しくて可愛くて(ここまで一息)、これがガンダムなのか⁈ と、平井久司さんのキャラクターデザインのインパクトがあまりに大きくて、「可愛い!」とまさしく射抜かれてしまったんです。

遺伝子操作をされていない「ナチュラル」と出生前に遺伝子操作された「コーディネーター」との対立や、久しぶりに見るモビルスーツの戦いのカッコ良さ、親友だったキラ・ヤマト(声:保志総一郎)アスラン・ザラ(声:石田彰)がそれぞれ地球連合軍とザフト軍のモビルスーツパイロットとなり敵同士として再会し戦うことになってしまうという切ないストーリー。とにかく夢中になってしまいました

自分の中で「ガンダム」は戦争と人間ドラマを描く硬派な作品だというイメージがあったのですが、『SEED』では戦いの中でもがきながら進む未熟な少年たちを描いている感じがしましたし、キラが親友アスランの元婚約者でプラント最高評議会議長の娘であるラクス・クラインと想い合うようになり、アスランがキラの双子の妹で敵国であるオーブ連合首長国の首長の娘であるカガリ・ユラ・アスハに心惹かれるなど、キラとアスランに関わる恋愛要素が強く打ち出されていて、こういう「ガンダム」もありなんだなーと思えて、私にとって取っ付きやすかったんだろうとも思います。

『SEED』のキャラクターの中で私の推しは断然アスラン。当時そこまで声優さんに詳しくなかった私にとって石田彰さんの美声は衝撃でしたし、繊細で弱りまくるキラと比べて毅然としてる感じだし、何より主人公の親友でありながら敵になってしまっているというのが良かったんですよね。

『SEED』の感動を胸に、続編となる『DISTINY』もリアルタイムで1年間視聴し続けました。『DISTINY』の主人公は、前作で主人公のキラが戦っていた敵ザフト軍のパイロットであるシン・アスカ(声:鈴村健一)。今度は敵側からの視点で描かれるガンダムなのかと楽しみに観ていたんです。

でも、紆余曲折を経てカガリのパートナーとなったはずのアスランはザフトに復員した挙句なぜかザフトの戦艦ミネルバの管制官メイリンを連れ軍を脱出して再合流し、平和な隠居生活から戦場に駆り出されたキラは悟りを開いて人を超えた神様みたいな感じになっちゃっていたりなど前作の主人公2人がやたらインパクトの強いし、制作時間が足りなかったのか脚本のまとまりが無いせいでキャラたちが皆いき行き当たりばったりで行動していて物語の意味がわからなくなっていくし、新主人公であるはずのシンの存在感がどんどん薄くなっていき気づけば大勢のパイロットの中の1人みたいな扱いになっていて、あまりの待遇の悪さに観ていて気の毒になってしまったり、モヤモヤの連続だったんですよね。何のためにシンを主人公にしたの? もっと時間取ってしっかり脚本を練るべきだったのでは? こんな出来なら続編なんて作らなきゃ良かったんじゃないか? と、非常にモヤモヤすることになったんですよ。

特に私はアスランとカガリのペアが好きだったので、「何なんすか!」って怒りを通り越してがっかりしてしまって、『DISTINY』を最後まで見なきゃよかったなーって後悔すらしました

それから月日が経ち、『閃光のハサウェイ』を観に行ったり『水星の魔女』にはしゃいだり、私の中で『SEED』は燻りながらも過去に追いやられてしまっていました。そこに『SEED』劇場版が、本当にとうとう上映されるぞという告知がきたわけです。

 

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抱え続けたモヤモヤを昇華させるために

私が『DESTINY』を観ていたのは2004年のこと。現在2024年なので、そんなモヤモヤを抱えたままもう20年も経っているわけですよ。上映の時期も明示され、本当に映画やるの? 今になって? と、正直なところ、告知を目にして怒りとも呆れともつかない感情に包まれたんですよね。

本編を続編が超えていくってとっても難しいことですよ。『SEED』は確実に好きだったけど、続編の『DESTINY』は全然好きになれなかった、まさしく続編が本編を超えられなかったんです。さらにまた続編の続編となる『SEED』劇場版を果たして好きになれるのか? 

あまりにも時間が経ちすぎて、懐かしさと怖いもの見たさに胸がざわつきながらも、「これ以上好きで観ていた作品で嫌な思いを重ねたくない」と手放しでは『SEED』劇場版の上映を喜べず、否定的な気持ちを抱いたまま上映開始日を迎えました。

早速鑑賞された皆さんの感想を漁りまくりましたよ。だってやっぱり気にはなるんです。夢中で観た作品の劇場版なんですから。

アスランとカガリはどう描かれるんだ? シンの扱いはどうなっているんだ? 今回は何のために戦っていくんだ? 『SEED』劇場版には気になることだらけ。でも、たくさんの方の感想を漁ってみると、褒めている方が多かったんですよ。アスランがすごかった、ちゃんとアスカガだった、シンが活躍してた、キラが人間らしかったなどなど。初日から見にいくような方は、当然劇場版を楽しみにしていた方ですから、好意的な感想が多く占めるのは当たり前だよなーと警戒してたんです。でも、漁っていた感想の中に「『DISTINY』が嫌いな人ほど観に行った方がいい」という内容の言葉があり、私の胸に刺さったんですよね。もしかして、観に行ったら自分が20年前から抱き続けてきたモヤモヤを昇華できるのではないのか? 希望を持てるなら縋りたくなるじゃないですか。

 私がどうしようかどうしようかと思っているうちに、相方がチケットを取ってくれて、思いがけなく早くに映画館に向かうことに。20年ぶりの『SEED』との再会に、ちょっと緊張したりしながら観てきました。

で、どうだったか。正直ツッコミどころが満載なのに、満足度は高かったんですよ。憑き物が落ちてスッキリした感じ。『SEED』劇場版を制作してくれて良かった、観に行けて良かった、そう心から思っています。

 

殴りつけてくる公式

場内の照明が落ちて暗くなり、映画が始まってすぐ、戦闘シーンに合わせて西川貴教さんの歌声が聴こえた瞬間、「ああ、これだ!」ってなりました。興奮を体が覚えてるんですよね。

 

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瞳キラキラで主張強めな絵柄、大画面で繰り広げられるモビルスーツの派手なバトル、次々と現れる懐かしいキャラクターたち、分かりやすく賑やかしてくれる敵キャラ。「そうそう、『SEED』はこれだよ!」って、観ていて本当に楽しくなってくるんですよ。

キラは変わらず優しくて繊細で1人で抱え込もうとするし、アスランはどの機体に乗っても天才的な戦闘能力を発揮してカッコいいし、シンは彼らの弟分みたいな可愛い奴だし。彼らは三者三様な戦い方で、しっかり見せ場がありました。ラクスは決してブレることのない芯の強さを見せつけたし、カガリの決断力、行動力、可愛らしさも健在、マリューさんの歴戦の猛者感ある動じなさが頼もしかったし、ノイマンの操縦技術は熟練を通り越して驚異だし、イザークとディアッカはトゲトゲしさが薄れて大人びてるし。そしてエンドロールに流れるのはSee-Sawの楽曲! いや〜もう、楽しい楽しい。

とはいえ、物申したいところはたくさんありました。ラクスのパイロットスーツには胸当てが無くボディラインがやたら鮮明で必要以上に胸が揺れまくり、観ていて彼女が可哀想になってしまいましたし、何の説明もなくシャワーシーンが挟まったり女性キャラの裸が出てきてホント意味不明。アスランが思い浮かべられるものは他にもいくらでもあるはずでしょ? またこの作品、「愛」がテーマなのは分かるんですが、キラとラクスのイチャイチャ感が過剰というか古臭いというか、観ていて食傷気味に。横恋慕してくる敵をキラとラクスが倒した感じで、ラブコメ要素がこれでもかと押し寄せてくるのは、ちょっとツラかった……。友だちを殴って目覚めさせるとか、暴力では特に何も分かり合えないというのに、平成を超えて昭和の匂いも感じます。また、監督がXにこぼれ話的な内容を投稿されてますが、「それを見て初めてそのシーンの意味が分かったんですけど?」ってなってしまっているのもどうかなと思ってます。(ルナマリアの「シンのガキ」というセリフとか)裏設定とか盛り込むのはいいんですが、匂わせもなく唐突に示されても理解できないですし。

もう挙げ始めたらいろいろ文句は出てくるわけなんですが、やっぱり『SEED』って面白いなと思っちゃったんです。決して良いとは思わないですが、物申したい部分も含めて最終的には受け入れちゃうんですよね。『DISTINY』を観終えて消化不良感が否めず、20年間げんなりしてしまっていた気持ちに対して、アスランがキラを殴って目覚めさせたように、公式が「お前が観たかった『ガンダムSEED』ってのはこうなんだろ!」って殴りつけてきた感じ。だからこその楽しさだし、満足感なんでしょう。特大の熱量で問答無用でねじ伏せられ、「もう細かいところとか、楽しければどうでもいいです!」って感じになっていました。

 

大人になった私たち

『SEED』劇場版ではキラやアスランは19歳、シンは17歳に。20年前にリアルタイムで視聴していた時にそんなことは思わなかったのですが、映画館で『SEED』劇場版を見ながら「まだこの子達はまだまだ少年なんだな〜」と思いました。「成長したな〜」なんて親目線になってしまっていたり、さらにはムウがおじさん呼ばわりされて気の毒に思ったり、しまいには敵役のオルフェが可哀想に思えてきちゃったりして、自分が完全に大人として彼らの戦いを遠くから見守る体勢になっていたんですよ。

以前『シン・エヴァンゲリオン』を観た際、シンジが父親のゲンドウを凌駕し乗り越え自立していくのを観て、上から目線で大変申し訳ないんですが、「庵野監督は大人になったんだな」というような感想を抱いたんですよね。シンジたちの厨二病的な世界から抜け出して現実世界に踏み出す様を見届けた感じ。

一方、『SEED』劇場版を観て、20年の間に変わったのは作品の世界ではなく自分の方だったと思い知らされました。でも、だからこそお祭りのような同窓会のような作品だなと言いながら楽しめたんです。

Xでは『SEED』『DESTINY』のファンアートが盛んに投稿されていますし、新たに『SEED』『DESTINY』を視聴し始める方もいる様子。『SEED』ってこんなにもパワーを持つ作品だったんだなと改めて感じていますし、「あの頃、『SEED』にハマっていて良かった!」そう振り返ることができるってなんて幸せなことなんだろうかと強く思っています。

www.gundam-seed.net

 

『閃光のハサウェイ』についても語っています。興味を持ちいただいた方はこちらからどうぞ

isanamaru.hatenablog.com