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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に描かれた恋について語りたい②

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(以下『水星の魔女』)に登場するアスティカシア高等専門学園の生徒たち。この『水星の魔女』では、彼らの間に生まれる様々な恋が描かれていました。

ひとくちに恋と言っても、形はいろいろありますよね。燃えるような情熱的な恋もあれば、じっくりと育む穏やかな恋もあるし、思いが届かずに苦しむ恋や全然無自覚で後からあれは恋だったと気づくなんていうものもあります。

ということで前回に引き続き、今回は『水星の魔女』について、特に同性への恋を中心に語っていきたいと思います。

 

ネタバレがありますので、未視聴の方はご注意してお読みください。

 

恋というもの

『水星の魔女』の中ではさまざまな恋の形が描かれていました。狂おしく想う気持ちは、相手の性別によって生まれたり生まれなかったりするようなものではありません。スレッタとミオリネの女性から女性への恋をはじめ、男性から女性への、女性から男性への、そして男性から男性への恋も描かれています。

 

③男性から男性への恋

『水星の魔女』の男性から男性への恋ってあったっけ? ってなると思います。が、あるんですよ。忘れてはいませんか? ラウダからグエルへの恋心を。

 

ラウダ→グエル

2人は兄弟なんだし、ラウダとグエルの間に恋なんて成立するわけがないと言われそうですが、そうじゃないんですよ。

グエルとラウダは異母兄弟。グエルは正妻の、ラウダは愛人の子どもです。正妻も愛人も離れていってしまうというダメ男ぶりを見せる父のヴィムの元に、ラウダは引き取られることになります。

母親に渡すのではなく自分の手元に置いたのを見ると、父親のヴィムはラウダを後継者の1人として大事に思っていたのは確かだと思います。とはいえ、愛人の子どもという引け目もあり、ラウダ本人は本妻の子どもが自分を受け入れるはずがないと、暗澹たる気持ちでグエルとの対面に臨んだのではないでしょうか。

しかしグエルは、自分の母親が去る原因となったかもしれない愛人の子ラウダを抱きしめてこう言うんですよ。

 

俺に弟がいたなんて、すっげーうれしい!

 

普通、こんなこと言えますか⁈  グエルは母親を失うことになり、さみしい思いをしていたはず。しかしラウダは自分以上にさみしく不安な気持ちでいるだろうと気遣い、彼を責めたり拒んだりするのではなく、兄弟として共に暮らしていこうと決めたのかもしれません。なんていい子なんだ、グエル少年!

ラウダを抱きしめたグエルは、とても穏やかで優しい表情をしていました。その表情から、グエルがラウダへかけた言葉が本心からのものだったと分かります。きっとこのグエルのひと言で、ラウダが抱いていた不安は一気に消え去ったことでしょう。そしてこの時この瞬間から、ラウダにとってグエルは特別な存在になったんですよね。

父とは違う苗字のままで、周りからもラウダは嫡出ではないことは明らかです。それでも表立ってラウダが揶揄されるようなことが無いのは、グエルがラウダを弟として大事にしているから。過去にはもしかするとグエルがラウダを庇うなんてこともあったかもしれません。だからこそラウダはグエルを深く慕い心酔しており、その様子はまるで崇拝しているかのよう。グエルがずっとラウダにとって良い兄でい続けてきたのだと察せますよね。グエルはラウダを幻滅させてしまうようなことなんて、一度も無かったんでしょう。「恋は盲目」ってやつです。

恋と似た感情として愛があります。恋と愛ってそれぞれに名前があるように、似て非なるもの。ザックリと言ってしまえば、恋は欲しがるものであり、愛は与え続けるものです。ラウダがグエルに抱いていた感情は限りなく「恋」であり、グエルがラウダへ抱いている感情は明らかに「兄弟愛」なんですよね。

ラウダは、父親からグエルを支えるようにと言われて育ったんじゃないかと思います。そしてラウダ自身もグエルを支えられるのは自分だけだと自負があり、グエルには自分だけを頼って欲しいと強く願っています。ラウダはグエルに、心の支えとなる唯一の存在として自分を必要として欲しいんです。それは父親の期待に応えることでもあり、自分を認めてくれたグエルに報いることでもあり、そして自分の願望を叶えることでもあります。ラウダは特別な存在としてグエルに求められることに全振りしているような状態です。

しかしグエルにとってラウダはあくまでも弟。グエルがラウダを大切にしているのは、弟だからに他なりません。そこにラウダに好かれようとか、そんな感情は一切無いんです。ラウダが慕ってくれていることを感じはしても、自分が彼にどれだけ大きな影響を与えているかなんて、考えたこともないはず。この温度差、ラウダが気の毒になってきますね。

学園を離れて自分の小ささを思い知り、絶望に打ちひしがれた末に、改めてジェターク家の人間としてやるべきことを見つけたグエル。外の世界に触れ、とてつもない経験値を積んだグエルは、一気に成長して学園に戻ります。ラウダはグエルが戻ってくることを信じて彼の代わりとして留まっていたため、厳しく揉まれてはしていたものの経験値ではグエルには到底敵いません。グエルの変化に追いついていけないラウダ。ひたすらにグエルを見て、ひたすらにグエルを信じて、グエルのために生きようとしてきたのに、グエルは見てきた世界をラウダと共有しようとはしてくれません。

そのショックがラウダのシュバルゼッテでの出撃へと繋がってしまうんですよね。パイロットの命を削るGUNNDフォーマットを搭載したの機体に乗り込み、データストームに苛まれながら圧倒的な戦力に振り回されるように暴れ回るラウダ。ラウダは、グエルの抱える辛さも苦しみも全て自分と分かち合って欲しいんです。しかしグエルは、自分の弱さと罪に1人で向き合おうとするばかり。

 

その高潔さが…傲慢さが…兄さんの罪だ!

 

ラウダがグエルに今までにないほどに激しく感情をぶつける様子はまるで駄々っ子のようで、痛々しくって見ていられませんでしたよ。そんなラウダの攻撃を受け止め、抱きしめるグエル。ラウダはどんなことがあろうと、グエルにとって大事な弟。その気持ちは、出会った時からずっと一貫しているんですよね。

この激しい兄弟の衝突を経て、グエルだけを見つめていたラウダのその目はペトラに真っ直ぐ向けられるようになります。グエルへの依存から脱して、ペトラのそばにいたいと言うラウダの優しい表情がとても印象的でした。

 

④女性から女性への恋

『水星の魔女』はスレッタとミオリネが出会ったことから始まり、2人を軸に話が展開されていくガールミーツガールの物語です。ここで語りたいのは当然スレッタとミオリネの恋です。

 

スレッタ←→ミオリネ

「決闘」で勝ったことによってミオリネという花嫁を得ることになったスレッタ。ミオリネは愛情のカケラもない花嫁争奪戦に辟易していますが、スレッタが女性だからといって「ミオリネの婚約者」であるという事実は周りから軽く扱われることはありません。なぜなら女性同士の結婚もここでは当たり前だから。その証拠に、シャディクはスレッタに対して恋敵として本気で嫉妬していましたよね。

しかし婚約者同士となったからといって、スレッタもミオリネもいきなり相手に恋愛感情を持ったわけではありません。誰ひとり知る人もいない学園に放り込まれたスレッタにとって、ミオリネは一番最初の友人であり、とても心強い存在となります。スレッタはそんなミオリネが勝手な理由で決闘の「賞品」とされてしまうことから守るため、彼女の「花婿」として振る舞います。またミオリネは、スレッタを「虫除け」として利用しつつも彼女に対して気遣いを見せ、大事にしてきたトマトの世話を任せるまでに心を開いていきます。

最初のうちは、そばにいる方が都合が良いから一緒にいるというところも、多少はあったかもしれません。しかし、水星という「片田舎」からやってきた新参者のスレッタと、どの寮にも入らずに1人で過ごしていたミオリネは、互いを唯一の居場所とすることができたんですよね。

花婿・花嫁として互いのピンチを救い、株式会社ガンダムを立ち上げて同じ目標を掲げ、共に過ごす時間を積み重ね、スレッタのエランへ抱いた淡い恋心やミオリネのシャディクに対する想いを経て、2人の間には他の誰とも違う固い絆が育まれていきます。名前だけの「花婿と花嫁」という関係が、他に替えることなどできない本当の「パートナー」に変容していくんです。

母親であるプロスペラの言葉が全てだったスレッタは、ミオリネと出会ったことで自分を受け入れてくれる人の存在を知り、狭い世界から抜け出すことができました。そしてひとり孤独に世界に立ち向かってきたミオリネは、スレッタと出会ったことで掛け値なしに心許せる存在を得て、スペーシアンとアーシアンといった区別関係なく力を合わせ進んでいけることを実体験として知ることができました。

これらのことは、彼女たちにとって大きな糧となります。自分自身がリプリチャイルドとして作り出された人間であると知った上で、スレッタが自分の考えで前に踏み出し、過去に囚われたプロスペラと向き合うことができたのも、ミオリネがクイン・ハーバーでの惨劇に打ちひしがれても立ち上がり最善を尽くすことができたのも、お互いの存在によって支えられて強さを得ることができたからなんです。

3年後、スレッタとミオリネは共にいます。その指に光る指輪。かけがえのない存在であるということを、彼女たちが一番知っているんですよね。

 

スレッタとミオリネの関係に物言いがつけられた件について語りたい

スレッタとミオリネが穏やかな表情をしていたラストシーン。最終話のエンドカードの2人の笑顔を見て、結ばれて幸せになれたんだなとこちらまで胸が熱くなりましたよ。きっと『水星の魔女』を見ていた全ての方が、あの時スレッタとミオリネに目一杯の祝福を送っていたことでしょう。

そんな最終回の後に発売された『月刊ガンダムエース』。そのインタビュー記事で、スレッタ役の市ノ瀬加那さんが「結婚した2人」とスレッタとミオリネの関係について発言してくださったんですよね。これでスレッタとミオリネのカップルが結ばれたのだという事実が不動のものとなった! と喜んだのも束の間、その後に発売となったガンダムエースの電子版では、市ノ瀬さんの発言から「結婚」の文字が消されてしまっていたんです。

雑誌は発行日を厳守しなければならないため、修正箇所を完全には潰しきれないまま発行されてしまうことがあります。なので、その後発売される電子版では見落とされていた修正箇所が潰されているというのは理解はできるんですよ。

ですが、「結婚」の文字が消されたと大騒ぎになったことを受けて、バンダイフィルムワークスが出した「お詫び」がひどかったんですよね。

 

 

「編集者の憶測による文面が存在し」と市ノ瀬さんの発言を蔑ろにして編集者個人に責任をなすりつけたり、「修正依頼を行ったにも関わらず、該当箇所の修正が反映されないまま責了となり」と雑誌の制作会社が悪いと言い訳していますし、さらには「本編をご覧いただいた皆さま一人一人の捉え方、解釈にお任せ」と、スレッタとミオリネの結婚が解釈のひとつでしかないという但し書きまでしています。もしも男女のカップルであれば、わざわざこんなことしなかったはず。この「お詫び」を読んだ時は、心の底からガッカリしました。

混乱を招いたお詫びとありますが、スレッタとミオリネが結婚したとあることに混乱が起きたのではなく、結婚したという言葉を公式によって消されてしまったことに混乱したんです。この認識の差、あまりにも大きいですよね。

確かにスレッタとミオリネは女性同士です。しかしこの作品を視聴していた人の中で、彼女たちがカップルとなることに嫌悪感を抱いた人っていないんじゃないかと想うんですよ。『水星の魔女』の物語を追ってきた人たちは、「同性婚」だということではなく「スレッタとミオリネが結ばれた」ことを喜んだんです。

なのに公式は「結婚」という言葉に変にこだわり、電子版で表現をあからさまに変えさせてしまいました。左薬指に指輪をはめさせておいて、スレッタとミオリネの関係をわざわざ曖昧にするなんて支離滅裂ですよね。あくまでも結婚は愛し合う個人同士のもの。2人が幸せならそれで良いんです。若い人に見てもらいたい作品のはずなのに、それを提供する側の偉い人たちの考え方が古すぎますよね。

「ガンダム」というのは、それだけでひとつのジャンルとなっている歴史の長い巨大コンテンツですから、たくさんの人が関わっていると思います。いろんな考えがあるだろうとは思いますよ。でも最前線にいる人たちが新しい感性で新しいガンダム作品を頑張って制作しているにも関わらず、直接制作には関わらない周りの古い考え方を持つ人たちはそれを理解していない状況にあるのだなということがうかがい知れますよね。その結果、『水星の魔女』のターゲットである若い人たちを落胆させてしまうことになってしまったのですから、残念すぎます。

スペーシアンとアーシアンの間に大きな格差があることを前提とした歪な世界を作り出し、それを維持してきたデリングら親世代の大人たちに代わって、子世代の若いミオリネやグエルたちが新しい世界を作り出していく道筋を示していた『水星の魔女』。上の偉い人たちはこの作品を特異なものとするのではなく、感性や価値観をアップデートして、新しいガンダムをまさに創り出している制作者の皆さんをもっと尊重し認めて、ガッツリとアピールしてあげてほしいと思います。