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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』最終話まで観て感じたことを語りたい ①

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(以下『水星の魔女』)が2023年7月2日に最終回を迎えましたね。大人たちには自分たちの行ってきたことの責任をきっちりと取らせ、子どもたちにはこの先の未来への進む道筋を示す終わり方で、まさしく大団円。24話だけだからこその密度の濃さとスピード感で、物語の激流に流されないよう必死で見てました。

私自身はガンダムの作品をほぼ見てきていないのですが、モビルスーツの造形や戦いっぷりのカッコ良さに感激し、シリアスな人間ドラマにドップリ浸かってしまい、「やっぱりガンダムはすごいんだな」と改めて感じました。

すでにたくさんの方が書かれていると思いますが、私も吐き出さずにはいられないということで、『水星の魔女』について3回に分けて語っていきたいと思います。

g-witch.net

 
 

ネタバレがありますので、未視聴の方はご注意してお読みください。

 

令和のガンダム『水星の魔女』

主人公のスレッタ・マーキュリーがアスティカシア高等専門学園に編入するところから『水星の魔女』本編は始まります。テレビシリーズでは初めての女性主人公だということで、放映前に大きな話題となっていました。

しかもスレッタは、学園にきて早々にグエルと決闘することになりますが、ずば抜けたモビルスーツ(以下MS)操縦技術で勝利し、学園最強のパイロットの証である「ホルダー」の称号とベネリットグループ総裁の娘ミオリネの花婿という地位をいきなり獲得してしまうんです。

第1話で「女性主人公登場→勝利→公式百合カップル成立」となるなんて、スレッタ同様、見ている私も驚いて「えー⁉︎」ってなりました。(さらに最終話終わってからのガンダムエースのインタビュー記事で、違う意味で「え⁇」と困惑する事態になりましたが…)

もうこの流れで初っ端からガンダムに新しい風を感じたわけですが、『水星の魔女』を最後まで見届けてすごいぞと思わせられたのは、女性主人公ということや同性のカップルということだけではありませんでした。

じゃあ何をすごいと感じたのか。

世界観の視点から

①ガンダム否定の世界
②起こらない戦争

キャラクターの描写の視点から
③キャラクターの魅力
④生きていく人死んでいく人

『水星の魔女』の物語の構成の視点から
⑤物語の層を成すもの
⑥ガンダムという重圧

上記の6つの視点から語っていきたいと思います。

 

『水星の魔女』の世界観の視点から

①ガンダム否定の世界

『水星の魔女』は機動戦士ガンダムのシリーズなわけですから、当然主人公がガンダムと呼ばれるMSに乗って戦います。が、本作の世界ではガンダムは忌むべき存在なんです。

開始初っ端に主人公のスレッタの愛機エアリアルがガンダムだと拘束され尋問を受けることになるという衝撃的な展開になります。「ガンダムシリーズなのにガンダムに乗ると捕まるの⁉︎」ってなりましたよ。本編から見始めた人は、かなりびっくりしたんじゃないかと思います。

エアリアルがガンダムだとなぜそこまで大騒ぎになるのか。それは本編の放映前に公開されたプロローグで詳しく描かれています。

この世界でのガンダムは、パーメットという粒子間で情報を共有し合う性質を持つ鉱物を媒介とすることで人と機体を有機的にリンクさせる「GUND」という技術を使っています。しかしこのパーメットを介した情報のリンクは人体に大きな負荷がかかってしまうものなんです。人体への過剰なパーメットの流入によって起きる「データストーム」という現象は人体への深刻な悪影響を及ぼし、最悪パイロットの命を奪うことさえあります。

もともとはこのGUNDは医療用として開発されたものでした。しかしGUNDフォーマットとして軍事用に転用された結果、敵だけでなくパイロットの命すらも奪う呪いのMS操縦システムと危険視され、GUNDフォーマットを使ったMSであるガンダム(GUND-ARM)はその存在を抹消されることとなったんです。

しかしガンダムであるエアリアルに乗っているというのに、スレッタはGUNDフォーマットの影響を受ける様子がまったくありません。

 

その魔女は、ガンダムを駆る

 

『水星の魔女』というタイトルと、このキャッチがガツンと効いてきますよね。パーメットの人体への過剰な流入「データストーム」の影響を受けることなくガンダムを操ることができるスレッタは、果たして魔女なのか。ゾクリとします。ガンダムを否定する世界で、エアリアルを家族とまで言うスレッタの特異さが際立ちます。

機動戦士ガンダムの他の作品を視聴した経験が少ない私は、主人公がガンダムに乗って敵を討ち、争いを終わらせて平和をもたらすというのが王道なのだろうと思っていました。しかしこの『水星の魔女』は、違います。ガンダムとそのパイロットである主人公スレッタの存在そのものが不穏を生み出す側にある物語なのです。

 

②起こらない戦争

主人公のスレッタがアスティカシア高等専門学園に編入するところから始まる『水星の魔女』。本作は学園に在籍する生徒たちを主人公とした、甘酸っぱい恋や熱い友情もある学園ものなんですよね。ずっとガンダムに親しんできた層だけでなく、今までガンダムをあまり見たことのないライト層や初めてガンダムを見る若い人を取り込もうとしているのを感じさせます。

この学園では何かあるとすぐにMSに乗って「決闘」することになり、season 1ではこの決闘が繰り返されながら話が進んでいきます。

しかしそれは、あくまでも学生同士の「決闘」であって「実戦」ではありません

ジェターク社CEOの長男グエルが操るダリルバルデやディランザ、ペイル社の次期CEO候補者エランのファラクト、デリング社CEOの養子シャディクのミカエリスなど、各社のMSの性能と戦いっぷりが見られるし、学園内での生徒同士の戦いだからどちらが勝とうが負けようが(一部を除いて)命に関わることはないし、安心して楽しく見ていられます。

子どもたちが学園で「決闘」を繰り返す一方で、親たち世代はミオリネの父親デリングを総裁とするMS製造最大手のベネリットグループの御三家と称される「ジェターク社」「グラスレー社」「ペイル社」が、互いに出し抜き裏をかきデリングの暗殺なんて物騒な言葉も出てくるくらいの熾烈な覇権争いをしています。なんだか池井戸潤さんの小説みたいな感じ。子どもには子どもの、大人には大人の、それぞれ分断された世界があるわけですね。

私個人としてガンダムは戦争を描く作品だというイメージでしたし、同じ学園で学んだ生徒たちが三つ巴の戦争をすることになるゲーム「ファイアーエムブレム風花雪月」にハマっていたこともあって、「きっとこの学園の子どもたちは、いずれこの大人たちが起こす本物の戦争に巻き込まれて殺し合うことになるんだろうな」と同情していたんです。

が、『水星の魔女』はいくら物語が進んでも「〇〇軍vs◉◉軍」といった敵味方に分かれる明確な武力の対立軸は見えてこないんですよ。そもそも登場するのは企業のトップと学生、そしてテロリストたち。国家や軍部の厳つい偉い人同士が対立している描写は出てきません。

それでも争いの火種となりそうなものはいっぱいあるんですよ。父子の対立、ベネリットグループ内の確執、同じ顔の強化人士、スペーシアンとアーシアンの大きな格差と蔑視、明らかに何か企みのあるプロスペラの言動、などなど。

しかし、デリングが暗殺未遂で瀕死の状態になっても大きく事は動きません。地球のテロ組織「フォルドの夜明け」に襲撃されて生徒に犠牲者が出て、スペーシアンとアーシアンでの戦争になるのかとも思いましたが、「フォルドの夜明け」で名前が出てくるキャラはいますがさほど深掘りされずにあっさりと退場していきますし、彼らとと通じていたシャディクの企みはグエルに捕縛されることで頓挫してしまいます。

じゃあやっぱりラスボスはスレッタの母親プロスペラかなと、ミオリネをも巻き込んでベネリットグループを引っ掻き回し地球のテロリストも抱え込んで戦争に突入させ、自分の夫や仲間、そして娘が亡くなる元凶を生み出した人間が互いに潰しあい死んでいくのを高みの見物するくらいのことをするんじゃないかとも思いもしました。

が、彼女の軸足はデリングへの直接的な復讐というより、彼の妻の掲げた構想を利用し踏み台にして実体を失った愛娘エリクトの生きる世界を生み出すことへの執着へと傾いているんです。エリクトさえ自由になれば他の人間なんてどうなったって構わない感じで、巨大要塞クワイエット・ゼロで現実世界を広大なデータストームで覆ってしまおうとしますが、内部に侵入したミオリネたちによって機能を停止されてしまいます。

最後の最後で宇宙議会連合が出てきて、スペースコロニーを改造した巨大なレーザー砲ILTSを持ち出してきます。この宇宙議会連合は、フロント(宇宙空間に造られた人口の居住施設)間の政治的な問題の調停を行う組織ということで、公的な性格を持つはずなんですが、大きくなりすぎたベネリットグループを疎む一方で「フォルドの夜明け」に武器を調達しているなどキナ臭い一面も。連合でMSや艦艇も持っているしILTSという隠し玉もありますし、スペーシアンとアーシアンの小競り合いがあった方が武力介入して弱らせられるから都合が良いなーくらいは考えてる気がします。しかし悪い顔した議長さんが出てきますが、それ以外の人は特には触れられず。エアリアルをはじめとするガンダムたちによってILTSは機能停止に陥るんです。

武力による衝突も大勢の人々が巻き込まれてしまう惨劇も、スレッタたちは最小限に食い止めていきます。圧倒的な戦力で敵を倒して戦争を終結させるためにではなく、最悪の事態が起きるのを防ぐために、スレッタは命を削りガンダムに乗り込んでいきます。

この『水星の魔女』スレッタをはじめとする学園の生徒たちが、決定的な断絶と争いを避け、繋がりを保ち続けていこうとする物語なんです。

 

今現実の世界では国同士が激しい戦争を繰り広げています。その始まりは唐突で、しかし一度始まった戦争はなかなか終わりを迎えられません。そんな時だからこそ、敵と味方に分かれて命を奪い合う戦闘を前面に出すことをせずに、分かりあうために伝え合おう、手を伸ばそうというメッセージを打ち出したことで、より一層『水星の魔女』を観た人は強く平和を願うようになったんじゃないかと感じました。

 

次回も引き続き『水星の魔女』について語っていきたいと思います。