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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』になぜこんなに惹かれるかを語りたい

皆さんはもう映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』をご覧に行かれましたか? 興行収入22億円を突破し、公開9週目というのに前週よりもランキングを上げているという快挙! すごいとしか言いようがありません。

水木しげる先生の生誕100周年を記念する作品である本作は、鬼太郎ではなく彼の父の目玉おやじであるゲゲ郎と水木という男を主人公とした鬼太郎誕生以前の物語となっています。

前回はこの作品を映画館に見にいき、その興奮状態のままに感想を語っていきましたが、まだまだ熱は冷めません。XのTLにもどんどん二次創作のイラストやマンガなどが流れてきています。今回はどうしてこんなにもこの『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』という作品に惹かれるのかということを、今回はゲゲ郎と水木の関係を中心に語っていきたいと思います。

 

ゲゲゲの謎を観に行ってほしい

本当にお願いだからゲゲゲの謎を観に行ってほしい

今回は映画の結末についても絡めてガッツリ語っていきますので、ネタバレがダメな方はご注意ください。

 

 

やっぱり大人の男の色気は良いぞ

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は鬼太郎誕生の前日譚ということで、この作品は鬼太郎の父親ゲゲ郎と水木の2人が主人公となっています。

ゲゲ郎は一目で鬼太郎の父親だとわかるデフォルメされた容貌をしています。なんですが、スラリとした長身で頭身が高いですし、着流しに下駄の出立ちでちょっと胸元をくだけた感じに着ています。飄々としていてつかみどころがない感じがしますし、どこか達観しているようでいて、妻のことを思い出してのろけたり涙したりと可愛らしいところもありますし、大切な者に仇なす輩に対しては容赦なく攻撃を行う激しさも見せます。

水木は戦地から生きて戻り、今は会社員として働いている男。10代後半で戦地に行って数年過ごしたであろうことや、自分に好意を寄せてくれている沙代に対する態度に彼女を恋愛対象になどならない子供として見ていると感じられることなどを考えると、彼の年齢は30代だろうと思われます。序盤は社長室に乗り込んで行くなどギラギラした野心を見せ、物語が進むにつれて友のためならば危険をも冒す男気をも見せてくれます。

そんなゲゲ郎と水木、とにかくすっっっごく色気があるんですよね〜。大人の男だからこその深みのある色気。お声が関俊彦さんと木内秀信さんということも、かなり大きいのではないかと思います。美声だというのはもちろんなんですけど、若い方とはセリフのひと言一言に込められた内容量そのものが違う感じがします。様々な辛いこと悲しいこと苦しいことを味わってきたゲゲ郎と水木が、出会い、心を通わせ、共に互いのために命をかけるようになっていくんですよ。堪りませんね。やっぱり大人の男ってやつはいいです。

 

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目玉おやじと言えば茶碗風呂。ゲゲ郎にはそのことを連想させるような温泉に入っているシーンがあります。また水木も、普段はスーツですが寝る時は浴衣なので悪夢にうなされて寝乱れ、体に大きな傷痕が残っていることがわかるシーンがあります。邪な眼で見てしまえばサービスシーンに感じられてしまうような場面がサラリと物語に沿う形で自然に組み込まれていていて、制作の方たちに翻弄されてしまったわけですが、それもすべてはゲゲ郎と水木から漂う色気がいけないんです。

ちなみに、作中で水木が丙江に「佐田啓二みたい」と言われる場面があります。佐田啓二って誰だ?って思ってネットで画像見たらビックリですよ。かなりのイケメン。男前。昭和の二枚目俳優ってやつです。駆け落ちして村から逃げ出そうとしたり、連れ戻された後は行きずりで男性と関係を持っているのを匂わすような描写があるなどやさぐれてしまった丙江さんが言うんですから、「東京の男」という属性がプラスされているとはいえ水木もイケメンなのは確定ですね。

 

引き裂かれる運命の人

この映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の終盤、ゲゲ郎は時貞によって血桜の根元に囚われて血液製剤Mの原料として血を抜かれていた妻と再会、水木が深いダメージを受けながらも時貞の持っていた狂骨を操る髑髏を斧でカチ割って狂骨を封印します。時貞も玉に変えられてしまい、文字通り手足も出ず何もできない状態。でも、これで後はここから脱出すれば終わり、ではなかったんですよね。

穴ぐらの中に封じられていた龍賀一族の悪行によって生み出された無数の怨霊たちが、一気に外の世界に噴き出そうとします。このままではこの怨霊どもが世界を蝕み、人は滅びてしまうかもしれません。ご先祖様たちの霊毛でできたちゃんちゃんこを着せ、最愛の妻とお腹の子を水木に託したゲゲ郎。彼は自分が怨霊たちの怨みを引き受けようと、依代になるべく身を差し出します。

この時ゲゲ郎は水木に、「我が子が生まれる世界じゃ」と言っています。生まれてくる我が子のためにこの世界を守りたい、というニュアンス。でも水木には伝えていませんが、その後ゲゲ郎は、「友よ、おぬしが生きる未来をこの目で見てみとうなった」と言ってるんですよね。ゲゲ郎にとって、この世界は「我が子と水木が生きていく世界」なんです。ゲゲ郎が守りたいと思ったのは、妻子だけじゃないんですよ。

幽霊族であるゲゲ郎は、人間たちから追放され仲間を殺された生き残り。妻は人間を愛し人間の世界に溶け込み暮らしているけれど、ゲゲ郎自身はそんな妻の愛情の深さを好ましく思いはしても、人間という存在に対しては懐疑的だったと思うんですよ。もしかすると妻が見つけられなければ、哭倉村の人間を皆殺しにしてでも探し出すくらいのつもりではいたんじゃないかと。しかし水木と出会ったことでゲゲ郎は人間を信じられるようになり、生まれてくる我が子が人と共にあることを願うようになったんです。

一方、水木はゲゲ郎の妻を抱き抱え、穴ぐらから抜け出しすために疾走していきます。この時彼は、着せてもらったちゃんちゃんこをゲゲ郎の妻に譲っているんですよね。きっとゲゲ郎は生きて戻ってくる、そう水木は信じています。やっと見つけ出した妻子はゲゲ郎にとっての希望の光です。相棒であるゲゲ郎の大切な人をどうあっても守りきりたい。ちゃんちゃんこを自分で着ていないでゲゲ郎の妻に着せている、このことに水木の善性を感じます。

水木は戦場に駆り出され理不尽な戦闘を強いられ、周りの仲間たちが無駄死にさせられていく中どうにか生き延びて母の元に戻りますが、母は親戚に騙されて金をむしり取られていました。こんな経験もすれば、他人を信じることができなくなってしまうのも仕方ありませんよね。使い捨てられるのではなく使い捨てる側に立ちたい、踏み躙られるのではなく他人を踏み躙り返してやりたい、そう思っていたからこそ、水木は野心に燃えていました。いわば復讐心で凝り固まっている状態だったんです。そうじゃないとやってられないですよね。そんな状態で哭倉村に勢いで乗り込んだ水木はゲゲ郎と出会います。

幽霊族で愛する妻のいるゲゲ郎は、水木にとって異邦人と言ってもいい存在です。文化も価値観も自分とはまるで違うゲゲ郎と食事を共にし、酒を酌み交わし、タバコを分け合い、徐々に感化されていく水木。彼はゲゲ郎と打ち解けていくにつれて、戦争という過酷な経験によってズタズタにされてしまった本来の人間性を取り戻していってるんですよね。水木は最初はゲゲ郎を負け犬とすら言っていましたが、終盤ではゲゲ郎の妻を救い出すために死力を尽くします。そして、出世をして権力を持ちたいと思っていたはずの水木は、富と権力にしがみつく時貞に対して「あんた、つまんねえな」と言い放ちます。誰かを蹴落としてのし上がっていく人生ではなく、愛する人とただ共に生きる人生を水木は是とし、選び取ったんです。

ゲゲ郎も水木も、相手のためにならば自分はどうなってもいいという気持ちでいます。ゲゲ郎にとって水木は人間を信じることを、水木にとってゲゲ郎は誰かを愛し守り抜くことを、それぞれ教えてくれた大切な存在。決して死にたいわけじゃない、けれどたとえ自分が犠牲になろうとも相棒には幸せに生きていて欲しいと、互いに思い合っているんですよね。

それほどまでに深い絆を結んだゲゲ郎と水木。しかし水木は哭倉村での記憶を失ってしまうんですよ。ちゃんちゃんこをゲゲ郎の妻に着せ、自身は怨霊に襲われながら必死に逃げ延びたのでしょう。孝三のように心を失いはしませんでしたが、水木は自分が誰と出会い、何を知り、どうして山道で倒れているのか、何一つ思い出せなくなってしまっています。それでもなお水木の心に何か残るものがあったからこそ、彼は「何も思い出せないのに、なんでこんなに悲しいんだ?」と涙を流したんですよね。

 

すべてはエンドロールに

この『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』、水木にゲゲ郎のことを忘れさせただけでは終わらせず、さらに追い打ちをかけてきます。本編が終わってからのエンドロール。インストで『カランコロンのうた』の物悲しいメロディに乗せて、無声で水木しげる先生のタッチに寄せた絵柄で水木の後日談の映像が流れていくんですが、これでだめ押しされていまいました。

一身に怨霊の怨念を引き受けて溶けてしまった身体を包帯で巻いて、ミイラ男のようになってしまったゲゲ郎。彼が時貞に囚われ続けて容貌がすっかり変わってしまった妻と2人でひっそりと暮らしていたボロボロの家屋に、水木は引き寄せられるように足を踏み入れます。ゲゲ郎と水木は生きて再会を果たしたわけです。しかし記憶を失ってしまっている水木は、恐ろしい姿をしたゲゲ郎を見て怯え、逃げ出してしまいます。水木と会えたことを喜んだゲゲ郎が追うほどに、恐怖し逃げてしまう水木。あまりにも切なすぎます。

その後、逃げ惑いはしたものの水木はボロボロの家屋に住む恐ろしげな姿をした夫婦を憐れに思ったのでしょう、再びボロ屋を訪れ亡くなってしまっていたゲゲ郎と妻を発見、せめてもと1人でどうにか運ぶことができる妻の墓を作って弔います。手を合わせ、水木が立ち去ろうとしたその時、泣き声と共に墓の中から這い出てくる赤ん坊。これは人の子ではないと水木は恐怖を抱き、殺してしまおうとします。しかしその刹那、水木の脳裏をよぎったのは忘れてしまったはずのゲゲ郎の姿。水木は思いとどまり、赤ん坊を抱きしめるんです。

そしてここで現れる『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』のタイトル! こんなの泣かずにいられますか? 泣くでしょ、こんな! 涙腺が崩壊してしまいましたよ。

ここまでの物語はすべて、このエンドロールを見届け『鬼太郎誕生』のタイトルを噛みしめるためにあったと言っても過言ではないと思います。

もしもゲゲ郎と水木の悲しい再会と鬼太郎との出会いを描かないままで映画が終わっていたら、こんなにも心が揺さぶられることはなかったろうと思うんですよね。これは『墓場鬼太郎』の第一話の内容とほぼ同じものとなっているそうなんですが、私は「ゲゲゲの鬼太郎」に詳しくなく前情報の無いままエンドロールを見ていたので、本当にものすごく衝撃を受けました。

『墓場鬼太郎』では、水木は墓から這い出した赤ん坊の鬼太郎を、恐怖のあまり突き飛ばし、墓石で左目を潰してしまうそうなんです。でも『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』では、水木は鬼太郎を傷つけることなくしっかりと抱きしめていますよね。記憶を失い、ゲゲ郎を見ても恐ろしいとしか思えなくなっていた水木。しかし彼は生まれたばかりの赤ん坊である鬼太郎に命の尊さを見出し、愛おしさを抱いたんですよ。たとえ覚えてはいなくても、水木はゲゲ郎に出会う前に戻ってしまったのではないんです。彼には誰かを愛し守ろうとする心があります。水木の心の中に消えることなくゲゲ郎は存在しているんだと強く感じられます。水木から愛情を受け大切に育てられていたからこそ、私たちが知る人間を守ってくれる鬼太郎に育ってくれたんですよ。

目玉のみとなってしまったゲゲ郎が、我が子を抱きしめる水木の姿を見つめているんですよね。「ゲゲ郎」として最後に出会った人間が水木で本当によかったと、心の底から思いました。

 

幸せになっておくれという気持ち

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の二次創作作品を見ていて、ゲゲ郎と水木や、田中ゲタ郎(『続ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる鬼太郎が高校生に成長した姿)と水木などのカップリングの作品は当然のように多くて楽しませていただいているんですが、それと同時に恋愛やエロの要素は無しでゲゲ郎と水木が鬼太郎の育児に励む姿をひたすら微笑ましく描いたものがすごく目につくんですよね。それらの作品には、想像で描いているのではなくて、実際に子育てされている方が自分の経験などを元に描かれているんだろうなと感じるものも多くあります。とにかくおチビの鬼太郎が可愛らしく描かれていて癒されます。

二次創作って「こうだったらいいな〜」という妄想が描かれたものです。映画では水木が鬼太郎を抱きしめるところまでで終わってしまうので、その後の彼らがどんな人生を歩んでいたかは分かりません。

でも映画を鑑賞された多くの方が、過酷な経験を経て人生を変えるほどの運命の相手であったゲゲ郎のことを忘れてしまった水木には、どうか鬼太郎と穏やかで幸せな時を過ごしていて欲しいと願ったんですよね。その気持ちが、ほのぼのした育児マンガのような優しい二次創作作品という形になって現れているんだと感じます。

 

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