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『オッドタクシー』について語りたい②ヘビー編

皆さんは『オッドタクシー』という作品をご存知でしょうか。これがTVアニメ初監督となる木下麦監督、映画化・テレビドラマ化もされた『セトウツミ』の此元和津也脚本のオリジナルアニメ。公式のアカウントが突然カウントダウンを始め、何が起こるのかとずっと気になっていたのですが、12月25日にYouTubeで映画化が発表されましたね。Yahooニュースにも載ってちょっとビックリしました。

前回はこの『オッドタクシー』について「マイルド編」としてまずはネタバレなしで語っていきましたが、今回は「ヘビー編」としてネタバレ有りで語っていきたいと思います。

最終話まで視聴済みの前提なので、未視聴の方、ネタバレダメな方はご注意くださいね。

推しの山本

最推しはマネージャーの山本

 

oddtaxi.jp

 

 

『オッドタクシー』の仕掛け

『オッドタクシー』はキャラクターたちの会話の掛け合いや、後半に行くにつれて加速していく話の展開が非常に面白い作品です。

しかし最終話まで見ていくと、それだけではなく作品全体に今までの作品にはちょっと無かったような仕掛けがたくさん散りばめられており、それらの相乗効果によって作品の面白さが増幅されていることを感じます。

 

小戸川の目に映る世界

この『オッドタクシー』という作品では、主人公の小戸川のセイウチはじめ、コビトカバの大学生やカンガルーの女将といった具合に、動物の姿をしているキャラクターたちが登場します。実はこの動物の姿であることが、この作品の中でとても大きな意味を持っています。

登場人物たちが擬人化された動物のキャラクターであるアニメ作品は、特別珍しいものではありません。ずっと昔からウサギやクマなどが擬人化され洋服を着て2本足で歩きしゃべるという作品は多々ありますよね。人間を動物に置き換えることによって可愛らしさが増して親近感も湧きますし、その動物の持つイメージからキャラクターの性格も把握しやすくなります。また、見た目が動物であることによってそれだけでユーモラスに見えるので、ギャグなどにも合っています。

一方で、ただ擬人化しただけではなく肉食動物と草食動物が同じ社会の中でどうやって共存していくのかというような、動物のキャラクターであることを活かしたシリアスなテーマを描いている作品もあります。

しかしこの『オッドタクシー』は、それらとも違う形でキャラクターたちが動物の姿をしているということへの必然性を持たせているんです。

主人公の小戸川にゴリラに見えると言われて剛力は苦笑いし、白川は自身をアルパカだと言われて笑い、山本はアイドルグループの1人のことを三毛猫と言われて怪訝そうな表情で小戸川の言葉をスルーしていきます。こちらが気付くか気づかないかぐらいのさりげなさで、物語の序盤から小戸川の目にのみ登場人物たちが動物の姿に見えているのだということを匂わせ続けているんですよね。

なぜ小戸川には人間が動物の姿に見えているのか。その理由は、彼が子供だった頃の過酷な環境にありました。

学校でいじめを受けていた小戸川。父親の不倫のせいで家族関係は壊れており、母親は車の助手席に小戸川を、後部座席に酔って寝ている父親を乗せて海に飛び込んで一家心中を図ったのです。

自分だけ命が助かった小戸川。しかし命は助かっても心に受けたダメージはあまりにも大きいものでした。まだ小学生だった小戸川の目には、自分も含めた全ての人間が動物の姿に見えるようになってしまっていたのです。幼かった小戸川が1人で傷ついた心を抱えて生きていくために、他人を好きな動物の姿で見ることで自分自身を守っていたのでしょう。キャラクターたちが動物として描かれる必然性があることを、このような形で示されるのは、なかなか無いんじゃないかと思います。

このような理由で人間が動物の姿に見えていた小戸川の視点を共有して『オッドタクシー』の世界を私たちはずっと見てきました。だからこそ、自身の運転するタクシーごと海へと落ちた彼が病室で目を覚ました時、剛力や白川を人間の姿で見られるようになっていることで小戸川の明るい未来を感じ、感動してしまうんです。

 

動物の姿であるからこそ

この作品ではキャラクターたちが絡まり合うようにどこかで繋がりを持っており、なかなか関係図が複雑になっていますが、動物で描かれていることによって私たちはキャラクターたちの見分けが付けやすく、関係性を把握しやすくなっています。しかし、それを逆手に取っているのが三矢と和田垣の入れ替わり。

この作品に出てくるキャラクターたちは動物の姿をしています。動物の種類には限りがあることを、私たちは十分に理解した上で見ていますよね。

しかし主要なキャラクターたちは、皆違う動物の姿をしています。これがミソ。この世界には同じ動物の姿をした人間もいるということを視聴している誰もが当然のことだと思って見ていながらも、山本はキツネ、ヤノはヤマアラシなどのように主要なキャラクターと動物の種類を結びつけて見ているわけです

ミステリーキッスのメンバーを「プードルの二階堂」「三毛猫の市村」「黒猫の三矢」の3人だという認識を持って私たちは彼女たちを見てしまっています。動物でキャラクターを描くことによって「黒猫=三矢」という刷り込みが可能となり、同じ黒猫の和田垣が三矢と入れ替わっていることに気づきにくくなっているのです。

これがもしも人間の姿で描かれていたら、いくら仮面をしていてもかなり早い段階で2人の入れ替わりに気付いてしまっていたのではないかと思います。動物のキャラクターで描いている必然性がここにもあるのです。

 

小戸川という男

主人公の小戸川は表情もちょっと怖そうだし、お客さんや友人との会話ではボソボソとした口調で淡々とツッコミを入れてたりするけど、ずっと低いテンションのままだし、なんだか冴えないおじさんだなぁと思ってはじめは見てました。

しかし、話数が進むにつれてどんどん小戸川がかっこよく見えていくんですよ。ピストルを向けられながらもチンピラのドブと対等に渡り合いますし、借金が返せなくなりヤノに監禁されてしまった柿花を自ら助けにも行きます。また宝くじの当選金10億円を狙われた今井を助けるためにドブとヤノの両方を出し抜き、今井の命も金も守り通します。そして今井からそのお礼として渡された1億円を自分のものにしてしまうことはせず、自分と同じような境遇にある子供の助けにしてほしいと黒田に全額譲渡してしまいます。

これらの行為にはまったく見返りがありません。それでも小戸川はためらうことも怯むこともせずに行動を起こしていきます。見た目や喋り方から受ける印象とは違い、小戸川って実は頭の回転が早い上に、他人を助けるために危ない橋を渡る度胸もある無欲の人なんですよね。

第13話まで見終えると、小戸川が最初からずっと嘘をつかない実直な男として描かれていたことに気づきます。愛想はありませんが、両親を亡くした自分を金銭的に支えてくれた人物に感謝し、裕福ではなくても自分の力で金を稼ぎ、しっかりと地に足の付いた生活を送っている小戸川。最初の頃は陰気な冴えないおじさんだと思っていた小戸川を、終盤ではこの先どうか幸せでいてくれと願うような気持ちで見るようになっていました。

だからこそ、最後に小戸川のタクシーに和田垣が乗り込んできた場面で終わることに、大きな衝撃を受けてしまうんですよね。

 

田中革命

第1〜3話まで見てきて、小戸川は不眠症のようだし何か家にいるっぽいし、ドブが出てきていきなり銃を突きつけるし、柿花は目一杯見栄を張ったプロフィールでマッチングアプリに登録して若い女の子に会っているしで、何だかだんだん不穏になってきたなぁと思っていたところで、いきなり割り込んでくる第4話「田中革命」。思わず、話を飛ばして見てしまったのではないかと焦ってしまいました。

それくらい唐突な第4話。このエピソードでは、田中のモノローグで私たちは彼の過去をかなり詳しく知ることになります。

なぜ田中? なぜこのタイミング? って見た時はなりましたが、この「田中革命」が間に割って入ってくることで、田中がいい具合にストーリーを引っ掻き回していくようになるんですよね。

田中が子どもの頃にネットオークションで金を騙し取られてしまっていたり、必死にゲームに課金してようやく手に入れたはずのキャラが消えてしまったりといったエピソードは、私たちも身近に感じられて想像しやすいものです。だからといって手に入れたピストルで小戸川の命を狙おうとしていいかというとそれは別なんですが、自分もフィギュアを集めたくてお金を使いまくってしまったりゲームを一日中やっていたりもするので他人事と思えない部分があり、田中を気の毒にさえ思えてきてしまっていました。

ドブとヤノの凌ぎ合いに小戸川は巻き込まれていきますが、その背後には練馬の女子高生行方不明事件が横たわっています。彼らは形は違えど、その事件に関わっています。

しかし田中はその事件とは一切無関係。言わばストーリーを並走していく脇役です。そんな彼が妄執に取りつかれて本気で小戸川の命を狙い続けていることで、どうしてもそちらに目がいってしまうことになります。ちょっと同情できるエピソードを持つ田中の存在によって、巧みに女子高校生の行方不明事件から私たちは目を逸らさせられてしまっているんです。

 

対比の巧みさと皮肉

この『オッドタクシー』では非常に対照的な存在が散りばめられていますよね。

小戸川は柿花のために危険を顧みず彼を助けにいきますし、剛力は医師としてではなく友人として小戸川の抱える病の原因を探っていきます。41歳の中年男性3人の友情は非常に感動的です。

それに比べて「ミステリーキッス」の3人はビジネスとして集められたとはいえ、彼女たちの関係はマネージャーの山本が事務所に1人ずつ別々に順番も考えて迎えにいくなどの気を使う必要のある非常に殺伐としたもの。小戸川などおじさんたちは相手を助けようと動いているのに、「ミステリーキッス」の3人は仲間を信用できず疑心暗鬼な状態で活動を続けています。

また、ドブやヤノはチンピラで様々な悪事を行ってはいますが、ボスである黒田の言いつけにより殺しはしないというルールをきっちり守っており、一線を越えることはありません。しかし、アイドルである和田垣は、母から「どんな手を使うてでも」と言われたままに自分の目的のため殺人を行い、その後まったく罪悪感を抱いている様子はありません。悪党どもが越えずにいる「殺人」の一線を、和田垣はあっさりと越えてしまっているのです。

しかも、三矢の死体を遺棄した二階堂、山本、矢野、関口が逮捕されても、和田垣は事務所を移ってアイドル活動を続けているだけでなく、ソロになってしまおうかなどと平然と口にし、また殺人を犯すことに何のためらいもないことを感じさせます。

私たちが持っている、アイドルの女の子といえば可愛くて清純だというイメージとは和田垣が対極にいるということをドブやヤノと対比させ明らかにすることで彼女の持つ狂気が際立ち、得体の知れない不気味さが印象付けられているのです。

 

オーディオドラマで2度怖く

YouTubeで公開されている『オッドタクシー』のオーディオドラマ。キャラクターの本編ではみられない違う面を楽しむようなおまけ映像などは作品の世界が広がる楽しさがありますが、このオーディオドラマはおまけではとどまらない、しっかりと本編に絡んだ内容。より深くこの作品に深く浸るためのものとなっています。

もちろんこれを聞かずアニメ本編だけ視聴してももちろん楽しめますが、このオーディオドラマは本編と同じく此元和津也脚本で、本編を見ていて感じる「もう少し深く知りたい」欲を見事に埋めていってくれるんです。

「幸せのボールペン」と名付けられたボードペン型の盗聴器の音声をホモサピエンスのファンの高校生長嶋が傍受し、それを公開しているという形でオーディオドラマは進んでいきます。他の人に渡すことで自分に幸せが訪れるとすることで、そのペンはキャラクターたちの手を渡っていき、ストーリーでは出てこないキャラクター同士の会話を盗み聞きできるようになっているんです。

最初は女子高生行方不明事件に小戸川が関係しているのかもと興味を抱いた居酒屋「やまびこ」の女将のタエ子が「幸せのボールペン」を用意。その後、剛力→小戸川→山本→市村→二階堂→馬場→柴垣→今井→小戸川→長嶋→小戸川→馬場→大門兄弟→呑楽の知り合いのプロデューサー→タエ子→山本→二階堂→和田垣→長嶋→タエ子→和田垣の順番でボールペンが渡っていきます。

皆、盗聴器が仕込まれているなんてことは知らずにボールペンを持ち歩き、無防備に会話を交わします。その様子がなかなか興味深いのですが、途中で会話が盗聴されネットに上げられていると気付く人物が現れます。それは和田垣の母親。和田垣は母親からそのことを電話で教えられるのです。

盗聴を教えられた和田垣が取った行動は、そのボールペンを新宿新南口の自販機の下に置いておくというもの。なぜそんなことを? その鍵は長嶋の行動にあります。

「幸せのボールペン」が置き忘れられたままだと気付いた長嶋は、小戸川のタクシーに乗り込みボールペンの盗聴器の電池を新たしいものに換え、これはホモサピエンスのものだから渡してくれと頼んでいます。長嶋が小戸川のタクシーを探し出せたのは「幸せのボールペン」に盗聴器だけでなくGPSが仕込まれており、位置が把握できるからだと考えられます。

ボールペンが自動販売機の下にあっては、聞こえてくるのは雑踏ばかりで何も盗聴することができません。仕方なく長嶋は再度ボールペンを回収しに出ていきます。そしてその後「やまびこ」で行われた小戸川の快気祝いに参加し、「幸せのボールペン」を元の持ち主であるタエ子に返していたのです。

小戸川の快気祝いの場自体は和やかに終わった様子ですが、その後タエ子は和田垣に刺されてしまいます。そして和田垣はタエ子が持っていた「幸せのボールペン」に向かって叫ぶのです。

 

次はお前だよ、これ聞いてる奴! 新宿新南口でボールペン持っていったお前だよ!

 

和田垣は盗聴器を回収にくる人物を特定するために敢えて新宿新南口の自販機の下にボールペンを捨て、長嶋の姿を確認しました。和田垣はGPSの情報から長嶋が「やまびこ」にいたことを突き止め、盗聴器を回収するためにタエ子を刺したのです。和田垣は抜け目なく長嶋の顔だけでなく自宅も突き止めていたはず。きっとタエ子の次に長嶋も犠牲になったであろうということが推察されます。

これってYouTubeに上げられてはいますが、映像が付けられていない音声のみのオーディオドラマであるということがとても重要なポイントだなと感じます。映像が無いことによる情報の少なさによって否が応でも想像力が働いてしまい、恐怖が大きく大きく膨らんでいくんです。

アニメ本編では快気祝いの場面は詳しく描写されることなく、ラストシーンとなっています。オーディオドラマを聴かなくても、平然と殺人を行う和田垣が小戸川のタクシーに乗り込んでにっこりと笑う意味深な終わり方に十分ゾッとするわけですが、オーディオドラマを本編の後に聴くことで改めて和田垣の強烈な狂気を思い知らされ、小戸川に迫っている危機に再び背筋が寒くなってしまうのです。

 

幸せのボールペン

「幸せのボールペン」について、オーディオドラマでは毎回必ず会話に出ていますが、アニメ本編では誰も言及しないながらも時折その存在が確認できます。「幸せのボールペン」はラッキーアイテムのようなものとして各キャラクター間を渡っていき、そして最終話では小戸川のタクシーに乗り込む和田垣の手に握りしめられていました。

小戸川を殺して思惑通りアイドルを続けていくのか、それとも内蔵されているGPSで位置を特定され凶行前に警察に取り押さえられるのか。和田垣に訪れるのは幸せか不幸か、果たしてどちらなのでしょうか。

 

映画化でどうなる⁇

この最終話の後小戸川たちはどうなったのか、どうやら映画で明かされるようです。此元さんが新たに脚本を執筆されるということで、テレビ版の単なる総集編にはならないだろうと期待が高まるんですが、最終話が不穏な余韻を残しつつあまりにもキレイに終わってカタルシスを感じたクチなので、「その後」を知るのがとても怖い気もしているんですよね。後日譚は蛇足となってしまうのか、それとも新たな驚きをもたらせてくれるのか。公開される2022年4月までソワソワして待っていようと思います。

 

コミカライズもすごいぞ

『オッドタクシー』は肋家竹一先生によりコミカライズが連載されています。

私は肋家竹一先生の作品が以前からとても好きなのですが、その作風の魅力はザラっとしたドライなセクシーさ。アニメでは可愛らしい絵柄とストーリーのギャップが大きくインパクトがありましたが、コミカライズ版はちょっと影のあるニュアンスが加わり、また違った味わいがあります。興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。

 

前回は『オッドタクシー』についてネタバレなしで語っています。ご興味を持っていただけた方は、こちらからどうぞ。

isanamaru.hatenablog.com