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『超訳百人一首 うた恋い。』について語りたい

皆さんは杉田圭先生『超訳百人一首 うた恋い。』をお読みになったことはありますか? タイトルを見てもわかる通り、百人一首を題材にした作品です。

2012年にはアニメ化もされたこの作品、現在4巻までとなっていますが、療養されていた杉田先生が2021年7月に5年ぶりのTwitter投稿でお仕事を再開するとおっしゃっていたので「続刊もあるのかも」と期待を寄せているところです。

ということで、今回はこの『超訳百人一首 うた恋い。』(以下『うた恋い。』)について語りたいと思います。

 

百人一首の本といえば

百人一首って小学生・中学生の時に学校で覚えさせられますよね。百首もあるのかと絶望的な顔をしている私に同情して親が買ってくれた学習マンガで、百首の和歌がそれぞれどんな意味の歌なのか一生懸命読んでいた覚えがあります。わりと国語が得意だったこともあり、その後は日本の古典文学にハマったりもして、百人一首の解説本も面白そうだなと思ったものは読むようにしていました。

百人一首の解説本のメインになる内容は、その和歌の言葉の説明。つまり、その和歌がどんな意味なのかを理解させることに重きが置かれます。何しろ使われているのは1000年以上昔の言葉。読んだまますんなりとは理解できないこともありますし、鑑賞するためには意味がわからないと話が始まらないですからね。

で、詠んだのはどんな人か、どんな状況で詠まれたかといったその和歌を取り巻く情報は、補足説明という扱いをされることがほとんど。持統天皇が白い洗濯物が干されいているのを眺めて詠んだとか、紀友則が散っている桜を見て詠んだとか。まあ、そうでしょうねって感じです。

でも、それって学校で古典の授業を教わってるのとほぼ変わらないですよね。授業では教えてはくれない、百人一首のもっとディープなことが知りたくて解説本を読んでいるのにも関わらず、お行儀が良すぎてちょっと物足りないなと思っていました。だって、教科書に載っている「歴史上の人物」たちが何を感じて何を考えていたのかを赤裸々に知ることができるのが、残された物語や日記、そして和歌なんですから。

特に和歌は恋のかけ引きに使われるなど、非常に生々しい感情が込められているんです。現代ではスマートフォンをみんなが持っていて、Twitterに自分が感じた事をつぶやいたり、LINEで仲間同士のやり取りをしたりしていますよね。実はそれは平安時代の昔に貴族が和歌を作っていた感覚にとても近いもの。貴族たちはいつもお題を与えられて和歌を作らなければならないから作っていたわけではありません。私たちは心が揺れ動いた時、うれしいことがあったとかイラッとしたとかTwitterに投稿したり、デートの後にLINEで相手に楽しかったと伝えたりしますが、それらの代わりに貴族は和歌を詠んで感情を吐き出していたのです。

けれど、いくら和歌に使われている言葉の意味や技法を丁寧に解説されても、感情ってあまり伝わっては来ません。それは、どんな状況に置かれた人がどんな場面でその和歌を詠んで感情を吐き出したのか、言葉の解説だけでは分かりません。むしろ補足的に扱われてしまうその和歌の詠まれた背景について、もっと知りたいって思っていました。

なので、この『うた恋い。』を詠んだ時には衝撃を受けたんです。なぜならこの作品、タイトルに百人一首と掲げておきながら、現代語訳が載っているくらいで、和歌の解説はされていないのですから。

 

それぞれの物語を

百人一首をタイトルに掲げていれば、和歌にまつわる物語を描くのが普通かなと思います。でもこの『うた恋い。』で焦点を当てて描かれていくのは、百人一首に選ばれた和歌を詠んだ人がどんな人物であったのか、どんな状況に置かれ、どんな交友関係を持っていたのかということ。つまり、この作品でメインなのは百人一首の和歌ではなく詠んだ人物の方

百人一首に選ばれた和歌は誰もがが知る有名なものですが、それらは彼ら歌人の人生の中のほんの一瞬を切り取ったもの。その歌を生み出すまでには、彼らの心の揺れ動きがあります。『うた恋い。』では歌人と百人一首に納められた歌とを重ね合わせ、「このような状況を経ていたのであれば、詠み人は確かにこの和歌を詠みたくなるよな〜」と読んでいて納得するようなシチュエーションが人物ごとに描かれていくんです。

例えば僧正遍昭のこの歌。

 

 天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
  をとめの姿 しばしとどめむ

 

この歌は新嘗祭の後に宮中で披露される「五節の舞」を詠んだもの。ロマンティックで美しい歌ですよね。僧正とは僧侶の位で、大僧正に次ぐ地位。そんな偉いお坊さんがこんな歌を詠むのか〜とびっくりしますが、実は彼の出家前の若い頃に詠んだ歌なんです。

遍昭の出家前の俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。彼は桓武天皇の孫という由緒正しき家柄。しかも美男で知られ、絶世の美女と謳われる小野小町にまつわる「百夜通い」の伝説に登場する深草少将のモデルとされているんです。

小野小町が後宮へ入内すると聞きつけ、止めるようにと説き伏せるために百夜通い続けることを決めた宗貞。伝説の深草少将は百日目の夜に嵐に遭って小町の元にたどり着くことなく亡くなってしまうのですが、宗貞は大雨の中危険を冒して小町の元に辿り着きます。しかし小町の決意の固さを目の当たりにした彼は小町を諦め、その夜は辿り着けなかった、つまり婚姻は成立しなかったということにしてあげるのです。

小野小町は出自が不明なのですが、『うた恋い。』では小野良実の娘であるという説を取っており、宗貞とは幼馴染み。そのことにより私たちは、ただ小町を妻とするのを諦めたのではなく彼女の夢を叶えるため自ら身を引く選択をした宗貞の深い愛情を感じることになります。

入内することとなった美しい小町が舞う「五節の舞」を見つめる宗貞。小町の願いが叶って欲しいと思う気持ちと、自分の腕をすり抜けていった小町への惜別と未練が彼の心の中に渦巻っていたはず。そんな気持ちを胸に秘めながら、神の元へ戻ってしまう天女と天皇の後宮へ入ってしまう小町の姿を重ね合わせ、あの百人一首の歌を宗貞が読んだのだとしたらどうですか! 行くなとは言えない、だからせめてもう少しだけその姿を……そんな想いで詠われていたとしたら、どうですか! 「しばしとどめむ」としか言えないんですよ! 泣きますよね! 私は泣きましたよ。

小野小町は誰の娘かもよくわかっていないほどに謎の多い人物であり、宗貞との関係ははっきりとはしていません。2人が交わした歌は残ってはいますが、彼らの間で本当にこんなドラマがあったのかは定かではありません。でも、宗貞が五節の舞をこんな状況でこんな想いでもしも見つめていたとしたら、確かにその時にこの歌が詠まれていたかもしれないと思ってしまいますよね。自分のよく知る和歌が実はドラマチックな心情を詠ったものなのだと、ハッとさせられます。

『うた恋い。』で取り上げられているのは、もちろん良岑宗貞小野小町だけではありません。紀貫之在原業平などといった歌人たちの人生の中で訪れた百人一首にある「その一首」が生み出されるまでの「そうだったかもしれない」物語を、史実を踏まえて巧みに織り込みながら描き出しています。そのため、教科書に載っているような歴史上の人物である歌人たちも私たちと同じように感情を持ち生きていたことが自然に伝わってきて、彼らが詠んだ和歌に体温を感じることができるようになるんです。

出色なのは、藤原氏の一強となってしまった平安時代に、その影に隠れることとなってしまった氏族の歌人たちを取り上げた4巻。日本史の教科書ではほぼ藤原氏のことしか出てきませんが、同じ時期に他の氏族の人たちも生きていたのだということに、改めて気付かされました。

この作品は可愛らしくさっぱりした絵と感傷的に盛り上がりすぎない物語のさじ加減がとても良いので、取り上げられているのが自分にとってよく名前を知らない歌人だったとしても、その人物と和歌が印象に残り、他にどのような歌を作っているのかと興味がわいてきます。

誰もが授業で習い、諳んじることもできるほどに親しまれている百人一首。この『超訳百人一首 うた恋い。』を読めば、その和歌だけでなくを歌人に目が向き、さらに百人一首を身近に感じることができるようになるのではないかなと思います。

 

前回は芹澤知先生の邪馬台国を舞台に性別を偽り女王として国を治める「卑弥呼」と従者の秘密の関係を描いた商業BL『秘め婿』について語っています。興味を持っていただけた方はこちらからどうぞ。

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