「Nintendo Direct 2022.2.10」で、『ファイアーエムブレム風花雪月無双』の発売が発表されましたね! 級長さんたちの衣装も髪型も本編とはまた違うものとなっていて、まさにパラレルな「同じフォドラであり得たかもしれない、新たな物語」が味わえるのだな〜と大興奮しています。
本編の『ファイアーエムブレム 風花雪月』については、このブログで17本の記事を書き終えた後、『スプラトゥーン』や『聖戦の系譜』など他のゲームに浮気しながらも断続的にプレイし続けて全学級をそれぞれ2回ずつ担任し、先日プレイ時間が500時間突破していました。もっと長くプレイしている気がしてたんですけどね。
とりあえずいろいろめでたいしキリも良いしということで、『ファイアーエムブレム 風花雪月』の二巡目プレイの「紅花の章」でいろいろ感じたことを中心に語りたいと思います。
※ここでは1周を各ルートのクリア、一巡を全ルートクリアのこととしています。
ネタバレが含まれるので、未プレイでネタバレダメという方は注意してお読みください。
全学級2周しました
以前このブログで『ファイアーエムブレム 風花雪月』について書いていた時は、まだ全学級1周ずつプレイし終えたばかりの頃。どの学級の生徒も好きでしたし、共に学び共に鍛錬し共に戦ってきた仲間ですので愛着もかなりありました。みんな魅力的で良い子たちなんですよ、ホントに。そして何よりこの『ファイアーエムブレム 風花雪月』という心底素晴らしいと感じられるゲームに出会えたことがうれしくて、このゲームそのものについて語りたい一心で記事を書いていたんです。
で、「翠風」→「蒼月」→「銀雪」→「紅花」の順でクリアしたものの全ルートを一度クリアしただけでは物足りず、ブログで記事を書き終えた後も、再び各学級を担任すべくプレイ二巡目をのんびり続けていました。
各生徒たちの会話を通して彼らに対する理解度が増しましたし、見落としていた部分に気づきもありました。そして何より全体のストーリーを知っていて冷静にプレイできたこともあって、一巡目と二巡目では微妙にプレイ中に各ルートに感じることがちょっと違ってくるんだなということに気づいたんですよ。
一巡目は各学級ごとのストーリーを生徒たちと一緒に戦い駆け抜け、ガッツリと風花雪月の世界に没入してプレイしていました。「翠風の章」ではクロードと共に封じられた歴史の膿を出し切り、明るく開かれたフォドラの夜明けを迎えようと誓いました。「蒼月の章」では心が深く傷ついたディミトリに笑顔と祖国を取り戻させ、彼の望む優しく穏やかな世界を実現したいと願いました。「紅花の章」では凄惨な過去を強い意志で乗り越えたエーデルガルトに敬服し、人の手に世を取り戻そうと決意しました。
スカウトし損ねた元生徒たちと対戦した時は胸が痛みましたが、級長の抱く夢を叶えたいという思いで乗り切り、それぞれのルートで生徒たちの戦いと成長を最後まで見届け、クリア後は各級長さんたちの理想の世界を実現させてあげることができたことに感無量になっていました。
では二巡目はどうかというと、各学級の生徒たちがどう戦ったかの物語を全て見届けた後ということで、プレイ中のルートでは担当していない他学級との横の関係が否応なく頭をよぎって仕方なかったんですよね。
例えば、「血の同窓会」とも呼ばれるグロンターズの会戦。「翠風の章」では、同じく帝国を敵として戦っているというのに王国が同盟と手を組むどころか攻撃を仕掛けてきます。一巡目では、見境なく襲ってくるディミトリに対して正直「何してくれんだ、このヤロー!」くらいの気持ちになっていました。でも「蒼月の章」では、クロードがディミトリを信用し非常に高く買っていたということが分かるんですよね。それを知った後に再度「翠風の章」をプレイしてみると、グロンダーズの会戦で自軍に襲いかかってくるディミトリの姿を見たクロードが受けた衝撃はどれほどのものだったのだろうかと、想像せずにいられませんでした。乱心のディミトリには、自軍以外の人間は全てエーデルガルトの首を横取りしようとする敵に見えているのです。「蒼月の章」をクリアして、こちらはディミトリがどうしてそんな状態になってしまったのか一部始終を知っています。ですが、当然「翠風の章」のストーリーは変えられません。ディミトリに何が起こり心を壊されてしまったのか、何も知らないクロードは「冷静になれ」と叫びます。しかしディミトリは正気に戻ることはなく、応戦するしか手立てはないのだという事実がグサグサと胸に突き刺さります。この突き刺さり度合いは、一巡目の比ではありませんでした。
他にも「蒼月の章」でのディミトリはエーデルガルトと決して分かり合うことはできませんが、「紅花の章」では親しい者しか使わない「エル」という愛称で自分を呼んだディミトリを討ち取った後で、エーデルガルトは静かに涙を流しているんですよね。2人の間にある深いつながりと因縁を知った後に再び「蒼月の章」をプレイした時、エーデルガルトを討つと決意するディミトリの姿に、胸の奥深くで痛みを感じてしまいました。
二巡目ではよく知る生徒たち同士で戦わせたくなくて、極力スカウトして進めていました。しかし、それでもやっぱりフォドラで戦争は起きてしまいます。生徒を根こそぎスカウトして自軍に引き入れ、仲良しムードを作り出しても、帝国、王国、同盟の3国が共存していく穏やかな未来は、そもそも最初から存在してはいないんですよ。この虚しい事実を突きつけられ、二巡目のプレイでは、より深く鋭く胸を抉られ続けていました。
灰色の悪魔
一巡目同様に二巡目も「翠風の章」「蒼月の章」の順でプレイし、さて次は「紅花の章」の番だとなった時に、ふと思ったんですよね。王国も同盟も帝国に攻め込まれる側であり、自分達から戦争を引き起こしてはいません。一巡目ではエーデルガルトの希望を叶えてあげるために戦いましたが、本来ならば「紅花の章」はフォドラに戦乱をもたらす側の物語としてプレイするのが正しいのではないか、と。
そこであえて青獅子と金鹿の各学級からエーデルガルトや帝国にゆかりの深い生徒1名ずつだけスカウトすること、士官学校で一緒に過ごしたキャラクターは主人公でとどめを刺すこと、の2つを決めてプレイすることにしました。
二巡目なので裏でエーデルガルトたちが着々と計画を遂行していることは知ってはいますが、士官学校での時間はちゃんと普通に楽しいものでした。他学級の生徒たちともおしゃべりできるし、お茶も食事もできるし。担任の学級が違うだけで、「翠風の章」「蒼月の章」とも、ここまでは大きな変わりはないわけですから。
でも地獄は聖墓でエーデルガルトに味方することを選んでから始まるんです。
エーデルガルトには人為的に紋章を2つ宿らせることを目論む宰相一派によって、肉親を蝕まれ自身も体を切り刻まれたという凄惨な過去があります。その自身の経験から、紋章によってフォドラの人々を縛りつけているセイロス聖教会を憎み、文字通りぶっ潰しにいきます。憎むべきは宰相一派じゃないの? と思いつつも、セイロス教を捨て紋章を捨て神に握られたままの世界を取り戻すための戦いを起こしたエーデルガルトの背中を主人公は最後まで押し続けることになります。
教団を叩く前に同盟・王国に攻め入り撃ち破るエーデルガルト。主人公は戦場で再会した同盟・王国の元生徒たちや教団の人たちからことごとく「裏切り者」「失望した」と罵られまくります。ごめんなさい、確かに仰る通りです。自分の父親を殺し、わざわざ戦争を引き起こした側の味方についています。申し訳ない‼︎ 元生徒たちが投げつけてくる言葉で私のダメージは倍増です。
しかし「だからどうした」とばかりに主人公は元生徒たちを斬り捨てていきます。考えてみれば主人公は元傭兵。雇い主が善だろうと悪だろうと関係なく、雇われた側についてただ戦うことを生業にしていた人なんですよね。プレイしている私の心はグラグラしまくりですが、主人公はキッパリしたもの。いくら罵られようと迷いなんて生じません。「紅花の章」の主人公は、敵対する元生徒たちからは「灰色の悪魔」そのものに見えたことでしょう。傭兵時代に主人公に付けられたこの二つ名が、これほどふさわしいものだと感じられる章は無いと思います。
それは夢の如く
「翠風の章」でも「蒼月の章」でも真っ向勝負になるのは対帝国のみ。でも「紅花の章」では帝国は狙いを定め、同盟→王国→教団と順番に着々と息の根を止めていきます。で、ちょっと待てよ、ってなってしまったんですよね。
やっぱ他国に侵攻するのって、どんな理由があってもダメじゃない?
だってそう思いません⁇ 身も蓋もないと言われればそうですねと返すしかありませんが、二巡目の「紅花の章」では、終始私はそう思わずにはいられませんでしたよ、どうしても。
王国はともかく、同盟はクロードが反帝国派と親帝国派をうまく捌きながら中立を保とうとしています。なのに、まず同盟から攻め入るって! どうして? ひどくないですか? クロード推しの私はちょっと怒ってます。
クロードもディミトリも、レアやセイロス教団を守るためだけに戦っているわけじゃありません。帝国に必死に抗戦してるんですよね。とにかく自分達の国と民を守ることが第一ですから。
そもそも王国も同盟も君主を持つ別の国なわけですし、エーデルガルトが目指すのはセイロス教団の影響力の源となっている紋章至上主義の世界を変革することなのですから、たとえ2国がセイロス教団の影響から抜け出せず旧態依然のままいるとしても、捨て置けばいいんですよ。時間はかかるけれど、宰相一派を粛清しセイロス教団の勢力を削いで形骸化させ貴族を廃止し帝国内で紋章など関係ない社会を実現させれば、それでエーデルガルトの願いは叶えられたと言ってもいいと思うんです。
ガルグ=マクを追われたセイロス教団を迎え入れたディミトリとは無理でも、セイロス教団を訝しく思っているクロードと考え方は似てるかもって言っていましたし、帝国と同盟とで手を組んで教団の弱体化を図るなどの道も無くはないはず。なのにエーデルガルトは同盟も王国もどちらも滅ぼしてしまいます。それは、なぜか。
この戦いの真の目的が、帝国によるフォドラ全土の完全掌握だから。
ですよ。
帝国の挙兵によって戦わざるを得ない状況になってしまった同盟と王国。どちらも、帝国軍に侵略されていた地を救い出し、エーデルガルトを倒した流れでフォドラ全土を統べることになります。エーデルガルトは挙兵しましたが、クロードもディミトリもあえて自分からフォドラを統一するための戦を起こすことはしないと思うんですよね。
でもエーデルガルトはセイロス教団を倒すという自分の願いを叶えるためには戦争という強行手段しかないのだと決してブレません。それは彼女の意志の強さと自分の正義に対する自信の現れなのだろうと思います。でも彼女はとても聡明な人ですし、戦争がどれほど多くの犠牲と憎しみを生み出すのか、思い至らないわけはないと思うんですよ。それでもエーデルガルトは同盟と王国を滅ぼし、突き進んでいきます。
このシナリオの巧みなところは、信仰心を利用して人々を支配するセイロス教団を倒して「人の手に世界を取り戻す」とエーデルガルトに言わせているところだと思うんです。
フォドラでは紋章を持つ貴族が権力を持っています。紋章はセイロス教に深く結びついているものであり、紋章の有無は個人の能力よりも重視されています。不公平極まりないこの紋章至上主義に基づく世界を変えるためには、根源であるセイロス教団を叩かなければならないという主張には確かに共感できます。だからエーデルガルトと共に戦おうと思えるんです。
でも、エーデルガルトは挙兵した際に教団がフォドラを支配するために帝国を分裂させ3つの国に分けたのだと言っているんですよね。倒すべき敵はセイロス教団であり紋章至上主義であるとしつつ、まず同盟と王国を滅ぼしてしまうのは、教団によって奪われた領土を帝国が取り戻しているのだという理屈。つまり、「教団を倒すこと」が「同盟・王国を潰してフォドラ全土を手にすること」と同義になっているんです。しかし敵はあくまでも教団であるとエーデルガルトに言わせることで、うまく目を逸らされてしまうんですよね。正義を掲げてはいるけれど、帝国は「侵略者」であるという事実から。
以前このブログで、『紅花の章』はエーデルガルトが見た夢だと書きました。今でもその解釈は変わっていません。でも二巡目を終えて、どこまでがエーデルガルトが本当に見たかった夢だったのだろうかとわからなくなってしまいました。エーデルガルトはあくまでも純粋に、セイロス教団の影響を受けず紋章に頼らない人の世を求めていたのだと思います。そんな彼女の夢は「闇に蠢く者」によってフォドラ全土を制圧することにすり替えられ、操られていたではないのか、と。
エーデルガルトが自ら戦を起こしフォドラを取り戻す『紅花の章』、ディミトリが望まれてフォドラの王となる『蒼月の章』、異国で生まれ育ったクロードがフォドラを解放する『翠風の章』と、3人の級長がまさしく三者三様にフォドラを統一する物語を各章は形作っています。そして同時に、教団の支配下でフォドラが再構築される『銀雪の章』に対し、『紅花の章』はフォドラが侵略者である闇に蠢く者の手に落ちる物語でもあるのだなと感じました。
『ファイアーエムブレム 風花雪月』というゲームは、プレイするたびに深みを増していきます。物語を知っているからこそ、見える側面が出てくるんですよね。全部のルートを味わって欲しいなと思いますし、1度プレイし終えた方もぜひ繰り返しプレイして、さらなる深みにハマってもらいたいなと思います。