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映画『すずめの戸締まり』についてちょっと噛みつきつつも語りたい

皆さんは映画『すずめの戸締まり』は観に行かれましたか? 私はお正月休み中に家族で観に行って、かなり感動して帰ってきました。ベルリン映画祭にも出品されることが決定したのも納得だなーと思いますし、たくさんの人に観てもらいたい良作だと思っています。

ですが、感動したこととは別に、この作品に対して個人的に物申したいこともあったりします。ということで、今回はこの『すずめの戸締まり』について思ったことをちょっと噛みつきつつ語っていきたいと思います。

すずめの戸締まり

ダイジンがかわいかった〜

 

 

『すずめの戸締まり』を観に行くまで

『ほしの声』(2002年)を紹介する内容の記事を読んだのが、新海誠監督作品を初めて知ることになったきっかけでした。1人で制作した単館上映作品の評判が口コミで広がり賞をいくつも獲るなんて、才能が世に知らしめられるってこういうことなんだな〜と思います。

自分の中では雨の表現が美しい『言の葉の庭』(2013年)が印象深い作品(大号泣しました)なのですが、その3年後に公開されたのが『君の名は。』(2016年)です。

最終興行収入は250億超、誰もが知る大ヒット作となった『君の名は。』では、瀧と三葉の互いを想う気持ちと命を救いたいという願いが彗星の直撃という絶望的な状況に奇跡を起こすという展開が、見事なカタルシスをもたらせてくれました。

続く『天気の子』も大ヒット。ですが期待が高すぎた反動か、私にはイマイチ刺さらず…。帆高が救おうとしているのは陽菜だけで、世界に住む他の人なんてどうでもいいと言われている気がしてしまい、なんかダメだったんです。

なので実を言うと、『すずめの戸締まり』には、全然期待をしてなかったんですよ。公開前からヒット確実ということでやたら推されてるのもちょっとイヤな感じがして、相方は映画館に行く気満々でしたが自分は正直配信で観ればいいかなーと思ってたんです。ただ、「関ジャム」で新海監督とRADWIMPSの和田さんが映像に音楽をつける時のやり取りをお話されているのを見たことでちょっと興味が湧き、ようやく重い腰が上がった感じでした。

で、相方に付き合って観に行った『すずめの戸締まり』はどうだったか。冒頭でも言いましたが、めちゃくちゃ感動して帰ってきました。「関ジャム」ありがとうって感じです。

 

確かに集大成でした

『すずめの戸締まり』の物語は、高校生の少女岩戸鈴芽(いわとすずめ)が、廃墟を探す美しい青年宗像草太(むなかたそうた)と出会うことから始まります。

草太は災いをもたらす「ミミズ」を封じるため、日本中を巡って廃墟の扉に鍵をかけている「閉じ師」。「ミミズ」の姿が見えてしまった鈴芽は廃墟に向かい、「ミミズ」が湧き出している扉を草太と共に閉じることに成功。しかし、2人の前に現れた言葉を喋る白猫のダイジンによって、草太は子ども用の椅子に魂を封じられてしまいます。鈴芽は草太を元の姿に戻すため、ダイジンを追って旅をすることになります。

鈴芽を誘うように逃げていくダイジンを追ううち、さらなる困難な状況に陥ってしまう草太。彼を救おうとする鈴芽の行動は、彼女自身を過去と向き合せることになっていくのです。

公開前に公式のTwitterアカウントで警報音に似た音が流れるシーンがあるということを、予め呼びかけていました。今もアカウントにこのツイートは固定されています。

 

 

このことことからもわかるように、『すずめの戸締まり』で描かれるのは地震。『君の名は。』では彗星の衝突、『天気の子』では降り止まない豪雨といった災害が描かれてきましたが、その災害自体がファンタジックな印象でした。しかし『すずめの戸締まり』で描かれる地震は東日本大震災という現実の災害なんです。

世界で起きるマグニチュード6以上の地震の2割は日本で起きているそうで、実際に大きな地震によって壊滅的な被害を受けた地域もあるなど、私たちにとって地震は身近な災害です。そのため物語を自分に引き寄せて観られますが、あまりリアルに描かれすぎると、自分の中の地震への恐怖心が呼び起こされて辛くもなってしまいますよね。

前2作では幻想的な災害がリアルに描かれていましたが、『すずめの戸締まり』では、大きな地震を「ミミズ」という姿で描いくことで表現が現実的になりすぎてしまうのを避けています。「大きな災害の予兆」そのものをこのように目に見える形で表現したのを私は初めて見ましたし、すごいアイデアだなと素直に驚きました。

また、秀逸だと思ったのが「閉じ師」の存在です。できることなら、自分や自分の大切な人たちが一生大きな地震に遭わずに過ごしたい。それは誰もが願っていることだと思います。そんな私たちの気持ちが具現化されたものが「閉じ師」なんですよね。

『すずめの戸締まり』の主人公である鈴芽は、4歳の時に東日本大震災で母親を失い、叔母の環と2人で故郷から遠く離れた宮崎で暮らしています。明るい少女ですが、母も家も一度に失ってしまった悲しみや衝撃、幼かったとはいえ独身の環にずっと負担をかけ続けてきた後ろめたさを抱えています。

そんな彼女は草太と出会い、地震をもたらす「ミミズ」を封じている「閉じ師」という者がいることを知ります。その存在は地震で傷ついたた鈴芽にとって救いであり、だからこそ何としても草太を元の姿に戻すために旅をすることを決意し、彼を救うために行動していくことになるんですよね。そのことによって、鈴芽は「守られなかった幼い少女」から「誰かを守る大人の女性」へと成長していきます。鈴芽は草太も世界も過去の自分自身をも救い、未来に向かっていくんです。

そんな鈴芽の姿に勇気をもらえましたし、ずっと昔から人々はずっとこうやって前に進み続けてきたのだなと、観終えて尊敬と感謝の気持ちが胸に広がっていくのを感じました。

suzume-tojimari-movie.jp

 

感動とは別に不満もあります

とっても感激した『すずめの戸締まり』なのですが、でも、というか、だからこそ、というか、個人的に引っかかってしまう部分があるんです。

草太は長髪が印象的な美青年ですよね。そのことが出会いのシーンの映像で頭に強くインプットされ、さらに鈴芽に「イケメンの人」と呼ばせてしまうので、鈴芽が草太のことが気になってしまう理由が「イケメンだから」のように思えてしまいました。

また、映画の序盤から草太はダイジンにかけられた呪いによって椅子の姿になってしまいますよね。そのため、美女と野獣などのように「ヒロインが異形に変えられた呪いを解いて人間の姿に戻った青年と結ばれる」物語がうっすら頭の片隅に浮かんだ状態で映画を観ていくことになってしまったんです。

しかし東日本大震災から10年以上が経って人々の記憶が薄らいでいく中、新海監督は描くならば今しかないという強い気持ちで幼い時に被災し母を失った鈴芽を今作の主人公に据えた物語を制作されました。『すずめの戸締まり』の物語を通して監督がしっかりと見つめて欲しいと思っていらっしゃるのは鈴芽と草太の恋ではなく、大震災の後を生きる鈴芽の姿なんだと思うんですですよ。

実際私はこの作品を観て、草太を救おうとする鈴芽の強い想いに感動したわけじゃなくて、鈴芽が過去を乗り越えて前を向いて歩き出す姿にこそ感動しました。

 

だったら恋愛要素を完全に排除した方が良くないか?

 

って思うんですよね。だってそれは本題に深く関係しないし。

なのに、ですよ。動員1000万人突破を告げる公式のビジュアルは、大人になり草太と結ばれた鈴芽が娘を連れて歩いている未来を思わせるようなものでした。

 

映画を見た後なので、その小さな女の子が幼いときの鈴芽であることはわかりますし、良いビジュアルだなーとも思っています。それでも後から公式によってこの作品は鈴芽と草太のラブストーリーだったと思うことを強要されているような感じがしてしまったんです。わざわざ恋愛にフォーカスさせようとするようなビジュアルを出してくることは、新海監督が語られた言葉と噛み合わないのではないかと違和感を抱いてしまいました。

 

ぶっちゃけ草太を女性にしていて欲しかった

物語の中で、鈴芽は椅子になってしまった草太と地元の宮崎を出て日本を縦断していきます。

①宮崎→②愛媛→③兵庫→④東京→⑤宮城

彼女が辿るこの道のりには、ちゃんと意味があるんですよね。

鈴芽の住む宮崎では日向灘を震源にした大きな地震が繰り返し起きています。愛媛では2001年に芸予地震と呼ばれる大きな地震が、兵庫では1995年に阪神淡路大震災が、東京では1923年に関東大震災が起きています。そして鈴芽の故郷である宮城は、2011年の東日本大震災で大きな被害を被った場所です。鈴芽は震災のあった地を辿りながら故郷へと北上していくんです。

鈴芽は、愛媛で家業の旅館を手伝う同い年の高校生千果と、兵庫でスナックを営みながら双子を育てているシングルマザーのルミと出逢い、一晩泊めてもらっています。また東京では草太のアパートの大家さんに鍵を借り、宮城までの道のりでは叔母の環が合流します。

どの女性も、鈴芽を優しく受け入れ助けてくれ、旅をする鈴芽を送り出しさえしてくれます。鈴芽よりも先に大地震を経験した地に住み、今をしっかりと生きている女性たちは、まるで鈴芽が地震を乗り越える段階にあることを察して後押ししてくれているようにさえ感じられます。

鈴芽にとって彼女たちとの出会いは、自分の足で前に踏み出すことへの指針になったはず。鈴芽は彼女たちから渡されたバトンを受け取り、走り出すんです。

 

これ、やっぱり全然恋愛要素必要ないじゃん。

 

新海監督は、初めは鈴芽と旅する相手を女性で考えていたけとおっしゃっています。でも最終的には男性の草太になってしまっています。

確かに鈴芽は草太に出会い、彼を救おうとします。2人の間にほんのりとでも恋する気持ちがあった方がドラマチックだろうとは思います。ラブストーリーであった方が受けがいいとも思います。それに女の子同士で旅する話で旅先で出会うのも女性たちとなると男性がほとんど出てこない映画になってしまいますし。

新海監督は『やっぱりパートナーは草太であるべきだった』と思っているとインタビューでおっしゃっていますが、それでも

 

ぶっちゃけ私は
草太を女性のままにしていて欲しかったんですよ!

 

と言うか、女性でも男性でもいいから、鈴芽と草太を同性にして欲しかったんですよ。

前2作が明らかに爽やかなボーイミーツガールの物語だったこともあり、はっきりとした描写が無くてもなんとなく鈴芽と草太の間に淡い恋心がありそうだなーという方向に思考が引きずられてしまい、過去を乗り越えて歩いていけるんだよと背中を優しく押してくれる作品のメッセージの輪郭がボヤけてしまった感じがしたんですよね。

人は恋愛感情だけで突き動かされるわけじありません。ほんのり漂う草太との淡い恋愛要素を完全に排除し、鈴芽には地震を乗り越えた地で生きている女性たちだけでなく、地震という災いを封じるため1人で立ち向かっている女性と出会わせていた方が、これから自分が進んでいく道を鈴芽自身が考えて選び取っていく姿をより明確に描けていたのではないかなと思うのです。

 

散々噛みついて語ってしまいましたが、『すずめの戸締まり』を観て、新海監督の作品が鈴芽と同様にさらに一歩先へと進んだように感じました。次の作品でどんな世界のどんな物語を描いてくださるのか、できればボーイミーツガールではない物語も観てみたいなーと期待しつつ、今から楽しみに待っていようと思います。