皆さんは夏目イサク先生の商業BL『花恋つらね』という作品をご存知ですか? 歌舞伎役者の家に生まれた源介と惣五郎の2人が互いに惹かれあい絆を深め、歌舞伎役者として成長していく物語。まだBLを読み始めて間もない初心者な頃に、美しい惣五郎が描かれた深い赤の表紙に惹かれて買った作品なので、物語を追い続けて10巻での完結を迎えて感無量になりました。
ということで、今回は『花恋つらね』について語りたいと思います。
性描写がある作品なので、未成年の方はごめんなさい。大人の方だけこの先をお読みくださいね。でも表現は控えめでなのでラブシーンが苦手な方も楽しんでいただけると思います。
惣五郎一人だった1巻の表紙↓。憂いのこもった表情にも見えます。
そして最終巻の10巻の表紙は抱き合いこちらに微笑みかける源介と惣五郎の姿。背景の色が深身のある赤色で始まり、鮮やかで明るい赤色で終わったっていうのもグッときます。
恋と歌舞伎と
歌舞伎の名門玉乃屋の御曹司の松川惣五郎(まつかわそうごろう)と、同じく歌舞伎の名門大谷屋の御曹司の新井源介(あらいげんすけ)は通う高校、学年、クラスも同じ。惣五郎は女形、源介は立役と演じる役は違いはしますが、それぞれが次代を担う若手有望株同士。惣五郎にとって、源介はライバルであり気に食わない相手です。
惣五郎は自分の出ている公演の感想をエゴサして落ち込んだりと、プレッシャーに負けそうになりながら頑張っているというのに、源介はいつも飄々としていて余裕がありそうに見え、そんなところが惣五郎には余計に気に食いません。
しかし、嫌いだと思っているのは惣五郎の方だけ。源介にとって惣五郎は憧れの存在であり、一緒に舞台に立ちたいと強く願う相手。源介の惣五郎マニアぶりは、友だちにドン引きされるほどなんです。
そんな正反対の思いを相手に抱いた状態で、夫婦役で共演することになる惣五郎と源介。チャンスだとばかりにグイグイ距離を縮めてくる源介をライバルだからと突っぱねていた惣五郎でしたが、2人で試行錯誤しながら演技を探っていくうちに楽しさや手応えを感じ、共演の舞台が終わってしまうことに寂しさを感じるように。同い年のライバルや同じ舞台に立つ仲間というくくりだけでは収まりきれない想いが芽生えていることに気づきます。
互いを歌舞伎だけでなく恋の相手として唯一の存在だと確信し、向き合うようになっていく惣五郎と源介。女形の化粧など無くても美しい顔立ちの惣五郎と、体も大きく舞台映えする源介の姿を見ているだけでも楽しいのですが、始まった恋に舞い上がってしまう2人が実に可愛いんですよ。
彼らがまだ高校生だということや、親しい友だちがモデルや俳優だということもあって、歌舞伎の演目を絡めつつ、華やかな感じのお話になっていくのかなと最初は思っていました。歌舞伎役者同志の秘めた恋なんて、素敵だなって思いますよね。でも、2人の恋を他人に知られてしまったことをきっかけに、物語の中で徐々に惣五郎と源介の置かれた現実が見えてくるんです。
伝統を継ぐ重み
良い歌舞伎役者になりたい。良い舞台を作っていきたい。同じ目標に向かって進んでいく惣五郎と源介の絆はより強くなり、関係も深まっていきます。自分に与えられた役の心情が掴めず悩んだり、ベテランから厳しいことを言われて落ち込んだりしながら、それを乗り越えて彼らが歌舞伎役者として成長していく様子は、見ていてこちらも元気が出てきます。
仕事も恋も順調で、これから伸びていくぞって時は楽しいですよね。しかし、惣五郎と源介のちょっとした脇の甘さで、秘密の恋が他人に知られてしまうんです。
惣五郎の従兄弟で立役の武市と源介の兄で女形の蔦丸に関係を知られた彼らは、面と向かって交際を反対され、芸の肥やしと割り切ってすぐに別れろと言われてしまいます。
もしも惣五郎と源介がアイドルや若手俳優などであれば、2人の仲がスクープされてひと波乱起き、ファンが離れてしまったり世間に叩かれたりすることがあっても、基本的には彼らだけの物語にできます。でも惣五郎と源介は歌舞伎役者。歌舞伎の家に生まれたからこその、彼らだけの問題にはできない困難に直面することになります。
歌舞伎はそれぞれその家の男子が幼い頃から稽古を積んで歌舞伎役者となり、跡を継いできた伝統芸能です。惣五郎は玉乃屋の、源介は大谷屋の跡取り息子。高校生だった時には何も言われなくても、大人になっていくにつれて、周りの人間たちは彼らに「結婚して後継者を」というプレッシャーを掛けてくるようになってきます。惣五郎も源介も、自分自身が父親や祖父をも超える歌舞伎役者として大成することだけでなく、跡継ぎをもうけて次世代に芸を繋いでいくことを求められる立場にいるのです。
蔦丸の苦悩
惣五郎の従兄弟の武市と源介の兄である蔦丸は2人の関係を知り、芸の肥やしとして割り切ってすぐに別れるようにと真っ向から交際に反対します。特に蔦丸の反発は強く、とりつく島も無い状態です。
蔦丸は源介に対して身内であるということで遠慮がない物言いをしますし、年下でまだまだ女形として未熟な惣五郎に対しては嫌味っぽく接していて、ちょっと意地悪な印象。でも個人的に、すごく蔦丸に感情移入してしまったんですよね。
蔦丸が強固に2人の交際に反対していることには、惣五郎が気に入らないからとか感情的なことなどではなく、ちゃんとした理由があります。大谷屋の御曹司である源介は、大名跡の「寿一郎」をいずれ継ぐことになる身。 彼の代で宗家の血筋を絶やすわけにはいかないんです。
現実世界で言うと、「大谷屋」は「成田屋」、「寿一郎」は「團十郎」をモデルにしていると思われます。成田屋は歌舞伎でも最も古く長い歴史を持ち、「宗家」と呼ばれる格が一番高い家柄です。そう考えると、源介の家がどれほど名家で、彼の背負う名跡の重さがどれほどのものか想像できますよね。
惣五郎との恋を諦めるつもりのない源介は「寿一郎」の名前が欲しいわけじゃないと口にし、「寿一郎」に子どもが必要だというなら蔦丸が襲名すればいいと反論します。確かに大谷屋の長男は蔦丸ですから、本来なら蔦丸が襲名するのが筋なのでしょう。でもそれは蔦丸が立役をやっていれば、の話なんです。
小さい頃から男踊りよりも繊細な表現をする女踊りの方が上手く、立役よりも女形に興味が強かった蔦丸。しかし彼は大谷屋の長男。当然立役の大名跡「寿一郎」を継ぐことを期待されていました。線が細くて小柄な蔦丸は、女形では客の反応も良いけれど、彼の興味や適性とは真逆の立役を目指さなければならない…でも評価は、いくら懸命に稽古を積んでも低いまま。いずれ「寿一郎」を継ぐという前提で見られることに、蔦丸は苦しむように。
自分がやりたいことや向いていることと、周りに望まれることや責務として負わなければならないことが乖離しているのはつらいですよね。このままでは歌舞伎が嫌いになってしまう。蔦丸は女形に進むことを決意します。
この決断は、寿一郎襲名の放棄を意味します。宗家の長男として、とても勇気がいっただろうと思いますが、弟の源介がいたからこそ蔦丸はこの決断ができたんですよね。そのため、蔦丸の中には源介に全てを押し付けて逃げたような後ろめたさがあるんです。源介と惣五郎に別れろと言った後に、蔦丸は武市に、自分が寿一郎を継いでいたらもっと源介は自由だったかもと言っているんですよ。このセリフで「なんていいお兄ちゃんなんだ」ってなりましたよ。
自分に代わって大名跡を担うことになった源介が負う苦労をできる限り少なくしてあげたいと、弟のこの先を思っているからこそ、蔦丸は交際に強く反対しているんです。
世代を超えて
惣五郎と源介の交際を知ったのは、蔦丸と武市だけではありません。馴染みのカメラマンから惣五郎の祖父である菊右衛門にも伝わってしまったんです。しかし、蔦丸や武市よりずっと世代が上で、蔦丸が憧れるほどの女形の名優である菊右衛門こそ大反対しそうですが、彼は何も言わずに2人を見守っていきます。
かつて菊右衛門がまだ惣五郎を名乗っていた若い頃の話。後に寿一郎となる源介の祖父との間には深い絆がありました。これからもずっと一緒に。しかし、いくら幼馴染みや歌舞伎の相方というだけでは収まりきれない強い想いを抱いていても、彼らは次代に歌舞伎の芸と血を繋いでいかなければならない身です。
叶えてはならない想いを口にすれば戻れなくなってしまう。 そんな苦しい気持ちを抱えたまま、恋人や夫婦の役を演じ続けなければならないのはあまりにも過酷ですよね。同じ歌舞伎の世界で生きていくために、彼らは互いの想いを確信していながらも言葉にすることなく、共演を避けて離れることを決めたんです。
周囲の人間も身内である孫たちも、2人は嫌い合っていて仲が悪いと信じきっているところをみると、彼らは秘めた想いのすべてを歌舞伎に注ぎ、名優と言われるほどの存在となったのでしょうね。なんて切ない…。
歌舞伎に生きるために想いを押し殺すことを選んだ彼らとは違い、孫の惣五郎と源介は互いに想いを伝えあった上で、ともにより良い歌舞伎役者を目指そうとしています。自分たちの叶えられなかったことを、世代を超えて実現しようとする彼らの姿に、菊右衛門は望みを託すことを決めたんですよね。
希望の光に
蔦丸の思いも、祖父たちの過去も、惣五郎と源介が詳細に知ることはありません。彼らはひたすら真っ直ぐに相手のことを想い続けるのみ。そのブレなさが良いんですよね。
自分がより良い歌舞伎役者になるためには、惣五郎が必要だと言い切る源介。源介の相手役でいるためには、周りから源介と惣五郎の舞台を見たいと思わせなければダメだと気づく惣五郎。2人は自分の夢を叶えるため、 相手役を演じる相手のため、そして自分たちのことを認めてもらうために、より一層歌舞伎に真摯に向き合っていきます。
惣五郎と源介の関係はは、2人で共にいることによって高め合える、前向きな相乗効果を生む関係なんですよね。恋を貫くために歌舞伎を辞めるとか、歌舞伎に身を捧げて思いを捨てるとか、そんなマイナスな要素は彼らの関係には一切出てきません。自分たちの想いも歌舞伎の道も決して手放さないという新しい答えがあることを、惣五郎と源介は自分たちの行動で証明しているんですよね。
この物語は「惣五郎と源介の関係が皆に認められてハッピー」みたいな終わり方はしていません。しかし、惣五郎と源介が共に進むことで、これから人として歌舞伎役者としてより輝いていくのだろうということ、そして2人の関係が周りの人たちも前向きにさせ、明るい希望を抱かせるものになっていくだろうということが伝わる、とても良いラストだったなと思いました。